君に与える




 毎日毎日言われた通り魔法を使い魔法薬を作り続けた。今自分が何をして、そしてそれがもたらす結果は知り尽くしている。考えるまでもない。善を説く者は事あるごとにこちらに問いかけてくるが、一般的な教育を受けて、善を説く者達の言う「善悪」を分からず行動する者など滅多にいない。分かっていて動くのだ。皆。それが理解できずに一般論を持ち出すから、善は悪を説得など出来ない。問題はそんなところにはない。
 少なくとも自分に関しては。


「では入荷後、すぐに連絡を」
 僅かに発光する植物を数ヶ所に置いただけの店内はいつ来ても薄青く埃臭かった。不快感は無い。セブルス自身の研究室も、似たようなものである。
 承りましたと薄ら笑いを浮かべた店主は、受け取った、金の入った麻袋を何度も撫でた。そんな笑みが気に障る店主と無駄話をする気もなく、購入したばかりの魔法薬の材料の入った紙袋をしっかり片手に抱た。しっかりフードを深く被り直すと、金さえ与えればなんでもするだろう店主にさっさと背を向ける。出入り口方向へと足を運べば、日が当たらず湿気で腐りかけの床が時折イラッとさせる障る音を立てた。
 空いた手で、やはり湿り気を感じる扉を押すと、ノブのない扉はそれだけで簡単に開く。店を出たそこは細く、昼間でも常に日の当たらない暗い道だった。黒いローブ姿で数人が、なんのやる気もなく座り込んだり、あるいは店から出てきた者の顔にギラリとした視線を送ってくる。隙さえ与えなければ、彼が寄ってくる事はない。セブルスの背後でゆっくりと扉が閉まり、魔法の鍵の金属音がした。

「!」

 突然、手首を掴まれた。
 息をのみ、咄嗟に払い除けようとするが、手首を掴む力は離れる事なく、背後に強く引かれた。紙袋をしっかりと抱え直し、セブルスは身体ごと後退ろうと試みる。しかし掴まれた手首はさらに力強く押さえ込まれて、逃げる事は叶わなかった。
 骨ばったセブルスの手首を折れんばかりに掴んでいる、場違いに温かい手。
 自分と同じような黒いローブに身を包んだ、長身のその腕の主を、セブルスはギリ、と睨みつけた。
「……こんな所で、何をしている」
 ジェームズ・ポッターの余裕めいた笑みは、学生時代から忌々しいほど変わっていなかった。



「いい所に住んでるんだね」
「皮肉は結構だ」
 ろくに物の入っていないタンスの上に紙袋を置き、セブルスは脱いだローブを乱暴に、手前のソファに投げつけた。そして、ローブは脱がずにフードだけを外し、物珍しげに部屋中を見渡しているジェームズを、改めて睨みつける。セブルスの隠れ住むこの家はあくまで仮住まいであり、狭く、あちこちにボロもきている。
「隙間風が入ってくるね。君なら魔法で直せるだろうに。それとも僕が直してあげようか?」
「余計なお世話だ。私の家を値踏みしに来たわけではないだろう、さっさと用件を言え」
 無遠慮に部屋を眺め尽くしたジェームズは、今度は、早口で明らかに苛立っているセブルスを面白そうに見つめている。そして視線も外さず、座れとも言っていないのに、勝手に奥のソファに腰掛けた。スプリングの音が甲高く笑う。
「ここに案内してくれたのは君だろ?僕が見せろと言ったわけじゃない」
 学生時代と同じ表情でジェームズは肩を竦める。
「お呼ばれしたら、感想くらい述べるさ」
「……あんな場所で、騎士団の者と話などしたくない」
「あんな場所でなければ良かった?――まあ座りなよ」
 自分の家でもないのにふんぞり返って、手前のソファを示すジェームズを、セブルスはソファの横で黙殺する。用心深く距離を保って、睨み続ける。
「貴様に、私を離す気がなかったからだ。そうでなければ振り払って、さっさと帰った」
「僕と戦う気は無かったんだ」
 足を組み、膝の上で手を組んでいるジェームズは、探るような瞳でセブルスを見つめてくる。視線を逸らせては負けだ、とセブルスは思った。
「……騒ぎを起こしてまずいのは、お互い様だ。仕方なかった」
 どちらも、騒ぎはそのまま死闘に繋がる。現在情勢は闇の陣営に分があるが、なんの準備もない状態なら、口惜しい事に一対一でジェームズに勝てるとは思えなかった。
 セブルスの返答に、ジェームズは楽しげに笑う。
「だから僕の名前すら、呼ばずにおいてくれたんだ。『ポッター』と知れるだけで、僕の命を狙ってくる連中が、そこらにうじゃうじゃいただろうに。君はその隙に、まんまと逃げられただろうに」
 セブルスは言葉に詰まる。自分の手首を掴んだのがジェームズだと知った時に、咄嗟に名前を呼びかけ、躊躇った。
 情などではない。あれは、騒ぎを起こしたくなかっただけだ。
 要らぬ詮索を受けたくなかったからだ。
 言い訳が思い浮かんだ時には妙に時間が空いてしまっていて、口にするタイミングを外した。
 一瞬揺れたセブルスの瞳を見逃さなかったのか、ジェームズは暫し無言でセブルスを見つめ、そして組んだ足を外してゆっくりと立ち上がった。スプリングの音に、セブルスが警戒して心なしか身構える。
 身体に緊張が走る。それは、敵対する者の動きに対して、だけではなく。
「――用件は何だ、と聞いている。私を捕らえにでもきたのか」
「そうだとしても、大人しく捕まってくれる君じゃないしねえ」
 睨み続けているセブルスからさり気無く視線を外して、ジェームズがまた部屋を見渡す。乱雑で狭い部屋だ。
 視線を外したまま、ゆっくりと近付いてくる。
 知らず、セブルスは後退る。
 備え付けの棚には無造作に薬瓶が置かれている。ジェームズは気紛れのようにそれらに手を伸ばし、手に取ってみては、元に戻している。また違う瓶を手に取り、見ているというよりは、弄んでいる。
「――相変らず薬を作ってるんだね。一口飲むだけで睡眠不足が解消される薬とかはない?最近寝る時間もあんまりなくってさ」
「二度と目を覚まさずに済む薬で良かったら都合してやるがな。薬を買いにきたのか、私のところまで?」
「君に会いたかった。とでも言った方が嬉しかったかい?」
「なっ……」
 サラリとジェームズの口から出た言葉に、咄嗟に言葉が返せない。
 弄んでいた薬瓶を、コト、と棚に戻したジェームズが、セブルスを見つめた。

 一瞬時が止まり、セブルスの思考も止まる。

 喉が乾く。緊張のせいだ。敵方と、話をしているせいで。
 そう言い聞かせる。
 暫く無言のままの時間が流れて、耐え切れずセブルスは顔を歪めて視線を逸らせた。俯き、首を横に振る。
「…に、を、馬鹿な事を。用件が無いならさっさと帰れ。私も忙しい」
「ヴォルデモートに命じられた通りの魔法薬を作る為にかい?」
 セブルスが目を逸らせた隙に、ジェームズの手が、タンスの上に置かれた紙袋に伸びていた。
「――触るな!!」
 思わず距離を保つ事を忘れて、セブルスの手がジェームズの手から紙袋を奪おうと伸びた。しかし。
「!!」
 伸ばした腕を強く引かれ、一瞬目が回ったかと思うと、次の瞬間にはソファに押し倒されていた。勢いが早過ぎて身体の反応が追いつかない。
 身体に重みを感じた時には、振り落とせない程間近にジェームズの顔があった。
「離……」
 情け無く上擦った声に、ジェームズは返事をしなかった。ソファの上、セブルスに覆い被さって、セブルスを間近で見下ろしている。
 覚えのある重み。
 体温。
 鼓動が高くなる。
 恐ろしくなってセブルスが今更身を捩ろうにも、ソファは狭過ぎた。ジェームズが間に割った為、片足は既にソファの下に落ちて、もう片方の足も肘掛の向こう側に伸びている。力が入らない。
 ジェームズの体温。呼吸。
 怖くなる。
「ポッ……」
 どうしてか、思わず名前を呼びかけると。

「……先月、23日。エルオーツの森が枯れ落ちた」

 覆い被さったまま、ジェームズが表情を変えずに淡々と口を動かした。
 その内容に、セブルスは一瞬で全身を凍りつかせた。

「エルオーツの森は聖なる土地だ。荒される事なく、森自体に魔力を蓄えている。影を近寄らせず、焼き払われる事すら退ける。あの土を汚す薬を撒いたのは君だろ?」
 ジェームズの声は続く。疑いではなく確信の声音。
「14日にはイロイの川の水に触れた者が多数倒れた。あの近くには騎士団の支部がある。騎士団メンバーは勿論、マグルにも被害が及んだ。その前、5日にはウェンディ修道院。あそこは戦いで傷ついた者を癒す場所だった。そこの水が乾上り、修道院にいた者は覚えの無い結界に阻まれて外部との連絡を絶たれ、助けを呼ぶ事もできなかった。まだ言おうか?」
 凍りついた体は、身体を巡っていた恐ろしさを、波が引くように消しさっていった。

 ああそうだ。
 彼は『敵』でしかない。

「君が触るなと激昂したあの紙袋の中身は、それほどまでに取扱いに気を遣わなければ危険なものなのかな。今度はそれで、何を作るつもりだい?」
 身体の重み。呼吸。体温。
 それらが連想させる過去の甘やかさを全て置き去りにして、ジェームズはセブルスを見下ろしている。
 責めにきたのだ。ただ、彼は。
 そう思うと、セブルスは。

 ふ、と。
 笑う事ができた。

 今の自分に相応しい笑みを。
 思い出と現実の間で揺れる事のない笑みを。

「――私は、ヴォルデモート卿に仕えているのだから、おかしくもないだろう?」
 むしろ穏やかな口調でセブルスがジェームズを見上げる。
 無表情だった彼が、途端に口惜しそうに、痛そうに顔を歪めた。いい気味だと思う。人を小馬鹿にしたような笑みよりも、余程いい。ああ、相変らずの偽善者め。いまだ私を責め続ける事も慰める事も突き放す事もできやしない。
「それで?やはり私を捕まえにきたか?」
「……」
 ジェームズは答えない。身体はセブルスに圧し掛かったまま、今度は哀しげにセブルスを見つめている。懐かしい重みだった。

 ああそうだ、お前は昔から偽善者だった。
 突き放せないし、突き放さない。

 いつまでも、手を伸ばそうとする。
 本気で、引き上げようとする。
 泥に塗れた闇の中から、光へ。

「……そんな事をして、君になんの得がある、セブルス?楽しんでやっているようにも見えない」
 力の無い声を、セブルスはせせら笑う。
「私の勝手だろう。薬を使うのも魔法を悪用するのも」
「勝手じゃないよ。君は利用されているに過ぎない。捨て駒の一つに過ぎないんだよ」
 説得をしようとする。そんな事はやめろと、学生時代から何度言われた事だろうか。『それは悪い事なんだよ』と。幼い子供に言い聞かせるように。
「何か問題があるか?捨て駒であろうと、利用されるだけの価値が私にはあるという事だ。何も無いより余程いい」
「利用される価値ってなんだよ。そんなのは価値じゃない。やめようよセブルス。そんな所にいないで。そんな事をしなくても、君は――」
 ジェームズの手が、おずおずとセブルスの頬に触れる。優しく、優しく。
 今から戻れと言うのか。どれほどにこの手を汚したか。それで戻れると思っているのか。回りが許すと思うのか?戻ったところで――

「『そんな事』以外で、私になんの価値がある?」

 お前と違って、居場所などないんだ。ポッター。

 浮かんだセブルスの穏やかな笑みに息を止めたジェームズが、大きく目を見開いている。彼に伝わるだろうか?追い求めるものが、人によってはまったく理解できない程のものである事を。
 そっと手を伸ばして、セブルスはその癖のある髪に触れる。昔のように。手に入らないものを、それでも愛しく思っていた頃のように。
 今でも、決して手に入らないもの。
「あの人の側にいれば、私は実感できる。私という存在の価値を。何も無ければ、私はどこで生きていく?ただ穏やかな時の中で静かに暮らしていけばいいと?そういう生き方もあるだろう。…私には、出来ないが」
 光の中で生きているジェームズ・ポッター。決して彼には分からない。
 自分の存在を疑った事など一度もないに違いない。
 この世に生れ落ちた、その意味を問うた事は。

 善も悪もなく、ただ生きる意味を追い続けるなど、夢にも思うまい。

「……たくさんの人を傷つけ、憎まれても?」
 ジェームズの長い指が、セブルスの髪をさらりと掬い上げる。髪はそのまますぐに、ジェームズの指から滑り落ちた。
「憎まれても。いつか裁かれても。いつか暗闇のままに果てるとしても」
「ヴォルデモートが君を必要としたように、僕が君を必要としても?」
 セブルスは苦笑する。
「お前に、私は必要ないだろう?」

 私にとって、ポッターが必要であったとしても。

 必要だよ、と嘯こうとするジェームズの首に腕を回し、引寄せると素直に唇が下りてくる。久しぶりのキスは思ったよりも胸が痛んだ。道が違うのだと思い知らされ、手放す切なさ。過去だけでは、自分は生きていけなかった。
 やがて唇が離れ、振り切るようにジェームズは目を逸らし、ゆっくりと状態を起こした。伸ばされた手をセブルスが掴むと、そのままセブルスも身を起こされる。
「……また会おう、セブルス」
 ローブのフードを被り直したジェームズは、そう約束の言葉を口にした。 不確かな約束だった。次に会うのは生死を賭ける場かもしれなかった。
 それ以前に、二人とも、いつまで生きているのか知れなかった。
「もうここは引き払う。用心もするし、今日のように簡単には捕まらない」
 『敵』に知られた以上、いつまでもここにはいられない。セブルスは早々に別の場所へ移動するつもりだった。店の出入りも極力押さえる。今日は話で済んだとしても、次には違うかもしれない。
 敵同士なのだ。
 ローブのフードを引っ張って目深にし、静かに扉に向かったジェームズは、座ったままのセブルスを振り返る。
「それでも会おう。探すよ、君を。だから」
 ローブの影で、彼の表情はよく判らなかった。

「探し続けるから、生きていて。君が価値を大切にするなら、この僕に追われる事こそが価値だと信じて」

 ジェームズを見送らず、セブルスはただソファに座り続けていた。扉の閉まる音、遠ざかる足音。
 身体に残る、彼の重み。
「……くだらない」
 あまりに馬鹿馬鹿しくて呟いた。ジェームズの言葉が。そんなくだらない程度の価値に。あまりの事で、笑えてくる。彼の言い様では、セブルスの価値ではなく、ジェームズにこそ価値があるようだ。
 肘かけに立てた腕の手で、俯く額を支える。なんの為に、ジェームズの言葉に従う必要があるだろうか。説得できたと思っているのか。生きていく理由があればなんでもいいという訳でもないのに。セブルスの気持ちなど理解できないだろうに。セブルスなどいなくても、いくらでも生きていける男なのに。
 笑って、目頭を押さえた。冷えた室温が、彼のいた空間を冷やしていく。それでも確かに、目の前にいた。


 ならば追ってこい。お前が私を追い続けるなら、私は逃げ続けよう。
 生きて、必ず。


 聞こえなくなった足音に、セブルスは心で告げる。誓いの如く。
 彼の言葉そのままに、自分は生きていくだろう。それが「価値だ」と彼が言った。

「くだらない」
 従う自分自身のくだらなさに、セブルスはもう一度呟いて笑った。



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