始まりのココロ



 セブルス・スネイプはこれ以上無い苦虫を噛み潰した顔で、魔法省の隅にある予備室の扉を開けた。端の椅子に座っていたリーマス・J・ルーピンが扉が開く気配に目を上げて、次いで大きく目を見開いた。
「セブルス……?」
 驚きを隠さないその声の主は、その小綺麗な顔に腫れ跡といくつかの擦り傷がある。恐らくボロボロのローブの下にも、同じような傷がついているのだろう。スネイプの登場に呆然としているルーピンをギロリと睨みつけて、スネイプは「出ろ」と簡潔に言い、そしてまたすぐに踵を返して廊下をつかつかと歩き出した。慌ててフードを着直しながら、ルーピンが小走りに追ってくる。
「セブルス、まさか君が来るなんて。校長には迷惑かけたと思っていたけれど…」
「校長が私に行けと命じられた。仕方あるまい。第一、いくら身元保証人になっているからと言って、一介の人狼如きの身元引受けにあの方が来られるのもおかしな話だ。」
 早足のスネイプの横に並びながら、ルーピンは肩を落とす。
「校長のお心を痛めてしまった事を心からお詫びする。彼は何と?」
「ホグワーツへお前を連れていくように言われている。再就職の口もきくらしい」
 長めのローブを翻しながら、まるで自宅から外出するように堂々と魔法省を出ていくスネイプと、ボロボロのローブを着、傷だらけの顔をした綺麗なルーピンの二人組は相当人目を引いた。が、当人達はそれに気付かない。
 ルーピンは、ダイアゴン横丁の方へと向かうスネイプの腕を取って足を止めさせ、そして彼に向かって神妙に頭を下げた。
「君にも迷惑をかけた。いずれこの詫びはまた。再就職の事ならなんとでもなるから心配無用だと校長に伝えてもらえないかな。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかない」
 軽く笑って、反対方向へ歩こうとするルーピンの腕を、今度はスネイプが素早く捉える。ルーピンが振り返ると、眉を吊り上げたスネイプが言った。
「貴様の怪我の具合によっては校医の許にまで連れていくように言われているのだ。さもなければ薬と、少なくとも今日だけでも充分な睡眠が取れる場所に泊めるようにと。私はその目付け役だ。」
 忌々しそうに言うと、さっさとついて来い、とルーピンの腕を放して、スネイプはまたさっさと歩き出した。
 怒鳴りたいのを我慢している――そんな声だった。ルーピンは彼の心中を察して苦笑し、遅れないようにまた小走りで彼と並ぶ。


「シングルが無いのか!?」
 ホテルのロビーで愕然とするスネイプに、フロント係が頭を下げている。週末なので無理も無い。かといって、他のホテルも同じ状況は予測される。
「仕方ないよ、セブルス。ダブルじゃなくてツインなんだから我慢しよう」
「人狼と同じ部屋に泊れと言うのか」
 一応声を潜めて睨みつけてくるスネイプに「今更……」と答えると、彼はまた目を吊り上げた。正直、ルーピンはダブルでも構わなかったのだが。――いや、もっと正直な話、ツインで、使うベッドは一つでも良いくらいだ。
 仕方なくブツブツと何やら呪いの言葉のように呟きながら、スネイプが先に立って歩き出す。ルーピンがその後を付いて歩く。ホテルは高級でもないが、そう安いところでも無い。普段ルーピンが使うような、裏通りにある不衛生で無用心な所でも無い。ダンブルドアの心遣いに感謝する。部屋も男二人が入っても狭く無く、清潔だった。ベッドもスプリングが利いていて柔らかい。ホグワーツ以来のまともな寝床かもしれない。慣れていないので、返って眠れない気がする。
 スネイプはドサリと鞄を部屋の端の机に置いて、「傷は」と言葉を投げかけてきた。鞄から薬を取り出している。
「ありがとう、自分でやるから貸して。」
 にこりと笑って、ルーピンは机に寄った。物言いたげにスネイプはルーピンを見たが、そのまま窓際の椅子に座った。
 いくつか塗り薬を選別して、ルーピンは側のベッドに腰掛ける。フードを脱いで、中のシャツの釦も外す。こちらに視線を流していたスネイプが、咎めるように目を細めた。ルーピンの上半身は顔以上にひどかった。
 ルーピンも改めて自分の目で見て感心する。青痣だらけだ。痛いと思った。最近あまり物を食べていないので痩せているし、骨が折れていなくて良かったと安心する。服が擦れて痛かった擦り傷に消毒液と薬を塗り、湿布薬を何ヶ所か酷い所に貼っておく。冷たさが沁みた。
「つぅ……」
 背中に近い個所に薬を塗ろうとして、腕を伸ばすと痛かった。背中は諦めようかと思っていると、窓際のスネイプがガッと立ち上がった。
「貸せ」
 簡潔に言うと、スネイプはルーピンから薬を取り上げた。そしてルーピンに後ろを向かせると、消毒液をガーゼに浸して乱暴に塗る。ルーピンが、傷の沁み具合に声を上げてもお構い無しだ。そして今度は塗り薬を取ったスネイプが、傷に塗っていく。やはり手つきは乱暴だ。
 そして、その手を少し止める。
「……貴様ならもっと要領良く逃げられただろうに。足蹴にでもされたい気分だったのか?」
 スネイプが呟く。ルーピンは暫く考えて、結局クスと笑った。
「そうかも」
「……変態か」
 スネイプが顔を歪める。薬を投げ出して、今度は湿布薬を手に取る。そして、また呟くように話を続けた。
「雇われる時に人狼と言っていなかったのか?」
「言ったよ。でも知っていたのは上だけだった。現場の仲間に知れた途端、こうなった。まあ私も、あえて言う気は無かったからね。隠していたと言われても仕方ない」
「……」
 スネイプが手を止めたが、やっぱり乱暴に湿布を貼りつけて、さっさと窓際の椅子の方に戻ってしまった。
「ありがとう、セブルス」
 返事は無かった。期待していなかったので構わない。シャツに袖だけ通して、今度は足にも薬を塗っておこうとベルトに手をかける。
 そして、ふと気付いた。
「――セブルス。そんな緊張しなくても良いよ、何かする気分じゃないから」
 言ってやると、ビクンと反応したスネイプが、顔を真っ赤にして、とうとう怒鳴った。
「誰がなんの緊張だ!!!薬を塗るならさっさと塗って、さっさと寝ろ!!!」
「はいはい」
 ルーピンは笑いを噛み殺し、薬をまた手に取った。そして、ふと思い立って手を止める。
「……もしかして、先にシャワーを浴びた方が良かったかなあ」
 消毒はしてるとは言え、どの道汗くらい流せば良かった。薬を塗った後でシャワーを浴びたのでは、また塗り直さなくてはならない。
 しかしスネイプが過剰に反応した。
「知るか!!!」
 剣幕から察するに、どうやらルーピンの発言を違う意味に捉えてしまったらしい。
「いや、変な意味じゃなくてね…」
 説明しようとして、つい笑いが込み上げてしまった。クク、と抑えようとするが、止まらない。馬鹿にされたかのように感じたスネイプが、さらに顔を赤くしてわなわなと震えている。ルーピンは俯いて笑い顔を見られないようにしようと心がけていたが、肩は震えるし、バレバレだ。とうとう、大声で笑い出してしまった。
「あっはは、違うって、セブルス……考え過ぎ……かわ……」
 可愛い、というのだけはかろうじて我慢した。言えば呪文で吹っ飛ばされる事間違い無しだ。それでも笑いが止まらずに、そのままベッドに倒れこんでしまった。
「クク……そ、そっか、シャワーね。そうだよね、先に浴びた方が良かったねぇ……このままじゃ君の肌もベタベタになる……」
 スネイプの深読みになおも笑いが止まらないルーピンに、スネイプが真っ赤なスネイプが立ち上がる。
「貴っ様……いい加減に……」
「知るかって……ど、どっちでも良かった……?」
 ベッドに横になって、しつこく笑い続けるルーピンに本気で殺意を覚えかけたスネイプが、ふと違和感を覚えて表情を戸惑わせた。
 おかしそうに笑い続けるルーピンの顔は、彼自身の手に覆われていて見えない。
「……ルーピン」
 訝しげなスネイプの声。ああ、彼にすら気遣われる。


 辛い時に笑うと、ますます辛さが思い知らされる。


 ルーピンの横で、戸惑ったスネイプが立ち尽くしている。ルーピンは漸く、笑いが収まってくる。口は笑ったそのまま止まっているが。
 きっと、抑えている目は泣きそうな形なのだろう。

 辛い時に何でも無い事に笑ってしまうのは、安心させられたからなのだろうか。心が軽くなったからだろうか。なのに、心は辛さを更に実感する。
 辛いね。
 辛いよ。笑わない方が良いのかな。
 慣れたふりして、唇を結んでいる方がラクなのかもしれない。


「おい、ルーピン……」
「すまない。なんでもないよ、セブルス。」
 顔から手を離して、ルーピンはにこりと笑って、体を起こした。なんでもないように伸びをして、立ち上がって部屋の脇においてある水差しに向かう。
「セブルス、シャワー浴びるなら使って。私は、このまま眠るから。チェックアウトは10時だね?」
「おい、……」
「私は眠りが浅いから、モーニングコール無しでも起きられると思うけど…ああ、でもこんな気持ちの良さそうなベッドじゃ分からないかな。ホグワーツでもよく二度寝をしてしまった。やはり頼んでおこうか」
 コップに水を注ぎながら、ルーピンは何事も無いかのように言う。


 気を遣わせるのは、好きじゃないんだ。
 私なんかの為に。


「おい、と言ってるんだ!!!呼ばれたら返事くらいしろ、ルーピン!!!」
 突然、肩を強く掴まれ、身体はスネイプの正面を向かされる。勢いで、手に持っていた水差しとコップから水が撥ねた。
 驚くルーピンの目に、セブルスの怒りに満ちた瞳がある。
「セブ……」
「人の目の前であんな顔をしておいて、何事も無かったように笑っても白々しく見えるだけだ!!!言いたい事は言えば良いだろう!!!」
「セブルス」
「痛かったのなら痛いといえば良いし、辛かった、悔しかったのならそう言えば良いだろう!!あてつけがましく笑うな!!同情なんかしてやらん、私を抱きたいのならさっさと抱けば良い、それでラクになれるんならそう言えば良い!!」
「いや、そんなつもりじゃあ…」
「それともわざわざ好き放題に傷めつけられて、ラクになるなら好きにすれば良い、ならラクそうな顔をしてみろ!!!私に悟られないくらい!!鬱陶しくて敵わない!!」
「セブルス……」


 まっすぐだ。
 自分の痛みに、向き合えているわけでもないだろうに。いや、ああ、だからか。
 抑えこむ痛みを知っているんだ。だから、思い知らされるようで痛いんだ。
 セブルスも。  


 少し、笑った。
「ごめん」
「……謝ってもらって、私の気が済むわけでは……」
「本当にゴメン、セブルス。側で嫌な思いをさせて。」
「だから、」
「痛いよ」
 水差しとコップを元に戻して、ルーピンは正面からスネイプを抱き締めた。


「痛いよ。」


 呟くと、心の痛さが増した。傷の痛さも増した。
 腕の中の彼を強く抱きしめて、分かってくれる彼に弱音を吐く。
 辛い中で笑ったら、辛さを余計に思い知らされた。

 だけど、泣きそうな痛みを訴えたら。
 彼が、痛みを知ってくれて。

 少し、安心するんだ。


 腕の中のスネイプは一瞬もがこうかとしたが、自分の発言の手前、それも憚られるらしかった。それを良いことに、ルーピンは強く抱きしめて、彼の身体を、さらに強く抱き締める。
「痛いよ。辛い。悔しかった。私のせいじゃない。そう言いたかった。心の痛みより、身体の痛みのほうが我慢できるんだ。」
「……」
「身体の痛みは少しでも心の痛みを忘れさせてくれるんだ。だけどいつも辛いよ。辛いよ。痛いよ。心が。ねえ、セブルス。痛い」
「わ、分かったから…」
「痛いよ……」

 涙は出てこなかったけど、呟くと、痛さや辛さも増して、でも暖かさが増した。彼の温もり。そして少しずつ、痛さも辛さも暖かさに消えていく。
 ラクに、なっていくんだ。

「…おい、ルーピン」
 徐々にベッドの方へと移動されている気配を察して、スネイプの声に緊張が走る。ばれたら仕方ない、とルーピンは隠さずに彼をベッド側に堂々と押した。
「お、おい!!誰がっ……」
「抱きたいなら抱けば良いって言ったよ、君。今抱きたい。君を抱きたい」
 スネイプが赤くなって、焦る。
「い、言ったが、誰も大人しく抱かせるとはっ……」
「じゃあ大人しくなるまで抱き潰す」
 貴様。とスネイプが怒鳴り出す前に、ルーピンはスネイプをベッドに押し倒した。素早く覆い被さって、顔を間近で、微笑む。
「君を抱いたらラクになる。君も、とりあえず気持ち良いことに身を任せて、ラクにならない?」
「だ、誰が!!!」
 それ以上の抵抗を唇で塞ぎ、傷が痛まない程度に、彼の細い身体を愛していく。


 痛いって言ったら、これからも君は受け入れてくれるかな。聞いてくれるだけで今日はラクになったんだ。
 君の痛みを、こんな風にラクにしてあげられるかな。
 ありがとう。


 ありがとう。
 君がいるだけで、私は救われる気がします。


「セブルス。君のことが好きだよ。私は、すごく君のことが。」
 身体中に口付けを施されて、最早抵抗を諦めてされるがままのスネイプが、殊更不機嫌な顔を作って、言った。
「私は、お前など嫌いだ。」
 ルーピンは笑う。
「好きだよ」
「嫌いだ」
「好き」


 消えていく痛みの中で、暖かいものが広がっていく。何度も告白して、ルーピンに優しい笑顔が浮かんでる。目を吊り上げていたスネイプの顔も、半分は諦めで、穏やかになっている。




 痛い時は痛い。
 辛い時は辛い。
 泣きたい時は泣いて、そして好きだと告白する。

 そんな事、簡単に出来ない。そんな二人。


 きっとどこか似ている。
 だから、お互いが、お互いの居場所になれれば良いね。
 誰よりも、きっと理解しあえる。
 傷の舐め合いでも構わない、傷ばかりの、優しい優しい。





 成長過程の。





 僕たちの心。



020822





TOP