留めた想い



 他の教師達は皆授業中で、職員室には、スネイプしかいなかった。ルーピンは一応声をかけて入室したが、当然の如く無視をされた。初めての事ではないので気にしない。あからさまに荷物をまとめて部屋から出ていかれでもしたら少々傷つくところだったが。カバンを机の上に置いて、ルーピンはスネイプの側までゆっくり歩く。
「セブルス。紅茶でも飲まないかい?」
「結構」
 横に立ったルーピンを見る事もなく、スネイプは素気無く断ってきた。めげずにルーピンは笑って、
「それじゃあハーブティにしよう。5分ほど待ってくれ」
と、勝手に決めて、部屋の端のポットに歩いていく。スネイプが目をむいて、ルーピンを睨みつける。
「いらんと言っているんだ!!」
「薬草に詳しい君ならハーブの効能くらい判っているだろう?顔色が良くないよ。真面目なのも良いけど、もっとリラックスしなくてはね」
「……貴様らのように能天気にはなれんのでな」
 腹立たしげに吐き出して、スネイプはルーピンから目をそらせて机に向き直った。レポートのチェックをしているらしい。後ろからそっと見ていると、レポートを見る時間に2種類ある事に気がついた。恐らく、スリザリンのレポートにはしっかりと目を通し、さっさっと飛ばされるような採点はグリフィンドール生のレポートなのだろう。他人の教育方針に口を出したくはないので、ルーピンは苦笑するだけに留めておいた。別にグリフィンドール生を全員留年させるとかではないのだろうし。
 持参したハーブティの葉がそろそろ開いて良い加減になった頃、ルーピンはそれを、棚に並んでいた自分のカップと、スネイプのカップに注ぐ。
「そっちに持っていって良いかな?それともこちらまで飲みに来るかい?」
 レポートが濡れたら、という配慮からそう聞いてみたのだが、当然返事は無い。ルーピンは二人分のカップを持って、スネイプの方へ近寄った。
「ペパーミント。なんにでも効くからね」
「別に万能薬が必要な身体では無い」
「顔色悪いって言っただろう?自分では判り難いだろうけどね。」
「ならば誰のせいかと問いたいところだな」
 舌打ちするように言って、スネイプは全員分のレポートを一つにまとめ、とんとんと机で揃えてクリップで留める。
「ちゃんと眠ってる?セブルスは研究を始めると眠らなさそうなタイプだから」
「人の名を勝手に呼び捨てるなと、前に言ったはずだがな」
「セブルス、砂糖は?」
「……結構」
 レポートを脇において、スネイプはカップに手を伸ばす。一瞬チラリと伺うように――疑うように――ルーピンを見てきたので、ルーピンは笑った。
「大丈夫、魔法薬学の先生に、怪しい飲み物なんて勧めないよ。」
「――誰もそんな事は言って無い」
 不機嫌にそう言って、スネイプはカップを口に運んだ。その傍らに佇んで、ルーピンもハーブティを口に運ぶ。
「そうだセブルス、次の満月に近付いた時の私の授業なんだけど、私が無理そうだったら、君が代りに教えてくれないかな。」
「何故私が」
「君が本当はあの授業の教師になりたいらしいってハリーに聞いて。なら私よりもきっと上手く授業ができるだろう」
「嫌味か?」
「そんなつもりじゃないんだけど」
 会話は弾まない。当然スネイプには会話をするつもりが無いので仕方が無いのだが。返事が返ってくるだけマシだとルーピンは思うことにする。
 暫く無言のままで過ごし、ルーピンはスネイプの顔を伺う。実は暫く前から気になっていたのだが。
「……本当にあまり寝ていないんじゃないか、セブルス?無理にでも眠った方が良い」
 少し躊躇うように言った。スネイプが座ったまま、ルーピンを睨み上げる。
「余計なお世話だ」

 スネイプは結構思いつめるタチだ。
 誰のせいか。本当に体調が悪いのなら、精神的な事が原因で眠る事もできないのなら、その原因はルーピンには痛過ぎる程判る。
 だけどそれを口に出して言うのは憚られた。

 何度だって、ルーピンは心でスネイプに問いかけた。
 『まだ忘れられないのかい?』
 『過去の記憶は、君を哀しませるだけなのか?』
 『私の存在は君を苦しめるだけなのかな…』
 何度だって口に出して、スネイプの内側を吐き出させてみたかった。
 想いを心に留めるのはとても辛い事。疲れる事。
 想いに自分が蝕まれる。眠りにつくまでの時間ですら思考を奪われる、夢にすら出てくる。
 それすら恐れて、眠りもせずに仕事や研究に打ち込むスネイプ。他の事に打ち込めば、自分の心の声に耳を傾けたりなどしなくて良いから。
 
 ルーピンにだって判る。経験がある。
 壊れた友情を思い出したく無い夜、もう何度も繰り返した。

 今だって、二人ともギリギリの路線だ。シリウス、君は本当にハリーを狙っているのだろうか。物事が動き始める。あの日から十数年、留まっていた時間が急速に動き出す。目を向けずに暮らしていた日々から、とうとう現実を突きつけられそうだ。何も見ない事でやり過ごしてきた心の痛みが、圧力に堪えかねて悲鳴を上げる。
 セブルス。私よりも君は、とても辛そうだよ。

「――そろそろ失礼する。次の授業があるんでな」
 スネイプが、ざっと立ち上がる。その勢いが良くなかった。温かいハーブティを飲んで、気が抜けたのだろうか。傍らのルーピンに少しぶつかり、しかしよろめいたのはスネイプの方だった。
「セブルス?大丈夫?」
 思わず手を伸ばして、その肩を抱くように支えた。
 ――細い。そして、軽い。
 食事もあまりしていないのではないだろうか。咄嗟にすらそう思った。スネイプはすぐに腕を振り上げて、ルーピンの腕を払う。
「人狼が私に触るな!」
 その場から素早く後退し、激しく、スネイプはルーピンを睨みつけてくる。スネイプの片腕が、無意識にもう片方の腕を掴んだ。――それはまるで自身を守る為、身を竦めるように。

 触られる事への嫌悪感。無意識の抵抗。
 過剰な反応。

「それは――私が、人狼だから?」
 カップを机に置いて、静かに聞いた。
「知れた事を」
「そうかな」
 ルーピンの返しに、スネイプは表情を険しくする。が、もう相手にしたくもなかったのだろう、スネイプはその表情のまま、机の上に手を伸ばして、荷物をまとめ始めた。職員室から出たければ、ルーピンの横をすり抜けなければならない。わざと音を立てて怒りを主張しながら荷物を抱えると、スネイプは素早くルーピンの横を通り抜けようとした。
「セブルス」
 その腕を反射的に掴んで――ルーピンは。

「!!」

 素早くキスをした。

「っ離せ!!!!」
 一瞬で、ルーピンは突き飛ばされる。よろめいて、後の机に体がぶつかった。スネイプは手の甲で唇を拭い、信じられないといった顔つきで、ルーピンを睨みつける。
「やはり……貴様達は最悪だ…人を馬鹿にして……いつもいつも……」
 唇を震わせ、硬直している。ルーピンは、
「『貴様達』…って、誰の事を言ってるんだい?人狼に対して、だけじゃないだろう。」
 少し笑った。
 ああ、まずいな。ルーピンは思う。
 追い詰めるつもりは無いのだけど。苦しめるつもりは無いのだけど。
「触られるのが嫌なのは、触ったのが人狼だからかい?違う誰かじゃないから?それとも触れられるだけで誰かを思い出すから?」
 言葉がすらすらと出てしまった。自分は今どんな顔をしているのだろう。

 冷たいのか。哀れんでいるのか。
 寂しいのか。

 スネイプは顔を赤くして、何か言い返そうと口を開きかけたが、結局何も言わずに踵を返し、早足で職員室を出ていってしまった。
 後に残されたルーピンは、自分しかいない静かな部屋で自己嫌悪に陥る。

 言うつもりは無かった。苦しんでいるのを知っているのだから。
 とどめを刺してどうするのだ。

 指先で、自分の唇に触れた。咄嗟に体が動いてしまった。あの時。


 やっぱり、ジェームズの事しか見えていないスネイプ。
 悔しかったのだ。
 ルーピンはジェームズに嫉妬していたのだ。


 ただキスをしたかった。
 スネイプに触れたかった。

 ずっと前から。



 想いを口に出せずに辛いのは、自分だってそうなのだ。




 君が好きだと。ずっと前から。 



020603





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