願い願う
その瞬間、自分がどこにいるのか、何をしていたのか思い出せなかった。 ただ『会いに行かなければ――』と思った。 誰に、とも思わなかった。ただその想いだけで走り出していた。 会いに行かなければ。 そうだ、会いに行かなくては。急いで行かなければ。 どうして忘れていたのだろう。 どうしてこんな簡単な事すらできなかったのだろう。 会いに行く、ただそれだけ。 セブルスは、ずっと僕を待っている筈。 何を考えもせず、ただ走って気が付けば彼の許に辿り着いていた。闇に同化しきるような真っ黒なローブ、そして一層不健康に痩せた頬を隠す長い黒髪。だけども闇に同化しきる事なく光を湛える事を許された瞳が僕を見止めて波を立たせた。 会いたかった。セブルス。 ただ彼の名前を呼んで、風のように軽く彼を抱き締めた。目を見開いて驚く彼の両手が泳ぐ。そう、卒業してから会うなんて初めてだったね。こんな簡単な事ができなかった。抱き締めた両腕に、女性ではない密着する身体に、呼吸に、彼を感じて嬉しくなる。 そうだ、言い訳ではないけれども、僕には会いに来られない理由があった。 僕は、彼を選べなかった。 彼女を選んだのだから。そしてそれは卒業前からセブルスも分かっていた事で、責めもせず、弁解を求めたりもしなかった。僕はそれに甘えて、何も言わなかった。別れを告げる辛さから逃げた事すら、セブルスは怒らなかった。 心の闇に気付かないわけはなかったのに、行き詰まりを怖れて僕は彼の為に何もできなかった。そして目を背けていた悪い予感通り――闇へ染まる彼を、ダンブルドアに委ねるしかできなかった。 僕には家族があるから。 言い訳に過ぎないのに。捕まえて、自分の好きに育てて。面倒見きれなくなったから捨てて。僕はなんて酷い奴。 そして荒んでしまった君が、それでも僕を待っててくれるなら。 間近でその瞳を見つめて、頬に触れて、唇を重ねた。セブルス。今でも愛おしい君。彼の鼓動が僕に響く。 セブルス。今度こそ、僕は君を一人にしないから。僕の最後の瞬間まで、君の側であり続けよう。 誰にも頼らず、君を救うのは僕であろう。 そしたら静かに、セブルスは首を、微かに振った。横に。 何故と僕が問う前に、馬鹿にしたように、哀しげな笑顔を浮かべて。 「だって、お前はもう力尽きてしまったのだろう?」 蘇る記憶は、最期の風景。 リリーは無事に逃げただろうか、ハリーは大丈夫だろうか。絶望の風景が既にこの世から消えたはずの脳裏に浮かぶ。めまぐるしく変わる戦況、最後の裏切りと終りへのカウント。 楽しかった日々、平和だった些細な日常。 セブルスを代償に、手に入れた幸せな家庭。 ――ああ 「もう、君を助ける力なんて無いんだ……」 だからセブルスの所まで来れた。何もかも失ってしまったから、もう何も守れないから。愛する家族も、社会のしがらみも全てなくなったから、やっとセブルスへ会いに来れたんだ。そしてその瞬間から、セブルスを助ける力なんて失っていたんだ。ただ会いに来る以外何ももう持たず。 僕は本当に、どうしようもないね…… 自嘲したら、セブルスがまったくだと頷いた。触れられないはずの僕に手を伸ばして、君の声はとても細いよ。 既に肉体を持っていないのに彼の手の温もりを頬に感じて、僕は目を閉じてその感覚に任せた。やがてそれすら感じなくなってしまうなんて。 そしてその温もりをもう包んであげられなくなる。ごめんねという言葉すら出なかった。彼を置いていってしまう。側にいるどころか、存在すらも消え失せて。 涙を零すと、セブルスは馬鹿にするなと目を吊り上げた。もう私は子供ではないと。道は決まったし、ダンブルドアも信頼してくれている。だから大丈夫だと。何より、自分は魔法使いとしては優秀な部類だと自負しているからと。 途中で死んでしまった、貴様なんかよりずっと優秀だ。 彼の言い草に僕は笑った。まったくだね。 リリーもハリーもどうせ無事だろうと彼は淡々と僕を慰めた。悪い運はお前が背負っただろうさ。私以外にはお人好しなのだから。 ありがとう優しい君。僕は口ばっかりでごめんね。 意識が途切れてきた。目的はもうなくなってしまったから。消えなかったセブルスへの想いだけで会いにきた。君が僕の心配を立ち切るように僕の目を見てくれたから、僕は留まる理由が無くなった。 気付いたセブルスが僕を見ている。この瞳が、それでもきっと哀しみに覆われるだろう。少しでもその時が短く済むように、僕は瞼にキスをした。 愛しい君。 薄れゆく意識と視界。守りきる事も助ける事も適わなかった無力さに、それでも最期に救われる。 「―――ポッター」 最後にかける言葉を迷って、僕の名前を呼んでくれた君。 どうか。 僕の消えていく世界に映る君が、二度と闇に覆われる事のありませんように。 050916 |