約束の星
冷やりとした空気が身体中に染み渡っていくようで、大きく深呼吸すると清々しかった。イギリスの夜は長く、朝と呼ばれる時間でも陽が昇るのは遅い。早朝ともなれば尚更、景色は未だ眠り続けている。 セブルスは立ち止まって天を仰ぎ、瞳を閉じた。森の木々に覆い隠された空は、重なり合う葉の隙間から、夜明けに残る星一つの光さえ見えない。見えたところで、道標にもならない程度の微かな灯りなのだろうが。 「どうせ後2、3時間もすれば、すっかり明るくなる。どうせ消えていく闇なら、いっそ僅かな灯りも拒んでしまえば良い」 背後に聞こえた微かな足音に、セブルスは瞳を開け、口許だけに笑みを浮かべて振り返った。 「そう、思わんか?ポッター」 枯れ落ちた葉を踏み、木の陰から姿を現したジェームズは、硬い表情でセブルスを真っ直ぐ見つめていた。 「光など必要ないから、闇なのだろう?光が入れば、それはもう闇ではない」 「僕は、そう思わない」 冷えた空気が彼の身体を芯まで凍えさせていただろう。少し、掠れた声だった。セブルスは鼻で笑う。 「一晩中こんなところで天体観測でもしていたのか?物好きだな」 「闇だから光がいるんだ。朝が訪れるのを待つだけである必要はない」 「夜なら朝が来るのだろう。しかし闇に光は約束されていない」 「なら僕が約束する」 身体につけられた傷の熱を、冷えた空気が冷やしていく。痛みを味わうようにセブルスは、傷めつけられた頬を撫でた。 「――私には必要のないものだ」 「僕に必要だ。約束を交わす相手も」 ジェームズが足早に、ぽつりと佇むようなセブルスの元へと近付いて、そして手を伸ばした。 大きな手が、包むようにセブルスの細い腕を掴む。 「君が闇に捕らわれて出て来れないなら、僕が必ず君を助ける。僕が君の光になる。――なにも君が、闇そのものになる必要はないんだ!」 強く間近で叫ばれて、セブルスは瞳を伏せ、顔を背ける。 「…馬鹿力め。離せ」 腕を引かれて、ジェームズは我に返ったように手の力を緩め、そして哀しげに眉を寄せてセブルスの腕を完全に解放した。痛みを宥めるように腕を摩るセブルスを、ジェームズが今度は包むように抱き締める。 セブルスは一瞬身を固くし、しかしすぐに力を抜き、ジェームズの好きにさせた。 「…どれほど言葉を並べたら、君は信じてくれるんだろう。それとも僕がまだまだ思いあがっているのかな。僕にはなんの力も無いのか」 抱き合って身体を密着させても、一晩外でセブルスを待ち続けたジェームズに、セブルスには交わす程の体温が感じられなかった。 冷えたジェームズのローブが顔に当たり、セブルスは瞳を閉じる。 「――信じていないわけではない。これは私の問題だ」 闇に絡まって、動けない。 闇の中で力が渦巻いている。その中においてまだまだセブルスは力弱く、己が価値には玩具という言葉が付き纏う。殴るも犯すも好きにさせ、力も相手の弱みも掴んでいくのがセブルスの生き延びる術だった。 「光など必要ない。私の瞳に光など映らない。闇だけだ。私はもうその中で呼吸をしている。ならもう」 闇で呼吸を繰り返し、身体のすべてを闇に変えていく。 希望でもなく夢でも無い。 この瞳に映るものが、もう闇しかない。 「ちっぽけな星一つでは――私の瞳に映らない」 セブルスを弱く抱き締めたまま、ジェームズが瞳を細めて天を仰いだ。夜明けの星の一つも無かった。 「…それでも、君を導きたい。まだ弱弱しく、君に届かない僕でも。闇に届く程の光を君に」 「愚かな願いだ。闇しか映さず、導きなど、必要のない私なのに」 セブルスは瞳を開け、長身のジェームズを見上げた。 ごく自然に、唇を重ねた。 「お前は充分、私にとっての光だった。ただ、闇が私に、追いついただけだ……」 直前になれば、迷いがあった。闇の帝王に傅いてから、いつか対峙する事は分かっていた。それでも、いざとなれば、心が惑う。 振るう度、誰かを傷つけてきた杖を握り締める。 ジェームズを傷つけた杖を握り締める。彼は既に逃げおおせただろう。学生時代のような不敵な笑みを向けて。血と土ぼこりで汚れた顔で。 何故戦うのか。闇についてしまったから。彼は光についてしまったから。それだけの理由。 闇に、進む道など無く。 ただ流れるように、堕ちていくのみだった。 だからセブルスは、笑みを向けた。光の映さない光を。 でなければ、彼が気に病むだろう。中途半端な憧れなど見せれば、情にもろい彼が、セブルスを助けようとしてしまう。 私の瞳には、闇しか無いから。 もう気にしなくて良いから。 彼の気配が消えたと感じ、セブルスは杖を下げた。強力な魔法での攻守の影響は、周りの木々を黒く炭化させている。焦げ臭い匂いが風に流れ、パチパチと小さな音も聞こえる。 もうここに用はない。セブルスは戻ろうとして、その惨状に背を向ける。 「!」 薄く柔らかい布に包まれるような感覚。 咄嗟に瞳を閉じ、両腕を顔の前で交差させ、身を守るような体勢になる。 ジェームズが、まだその場にいたのか。 セブルスは自分が魔法にかけられた事を悟った。 「……」 しかし、体を包む感覚以外、降り掛かると覚悟した衝撃はない。 ゆっくりと両腕を下ろし、閉じた瞳を、恐る恐る開ける。 その瞳が、視界を覆う光景に大きく見開いた。 「――」 暗闇の中、隙間ない程瞬いている、一面の星。 「……ポッター」 最初に出てきた言葉は、彼の名前。 広がる光景への感想でも無く、何事かと呟く疑問の言葉でもなく。 これは、紛れも無く彼の仕業。 セブルスは勢い良く振り返る。反対にも視線を向ける。身体を捻り、辺りを見渡す。 一面の星、星。 ジェームズの姿はなかった。ただ、自分を覆う一面の星。 闇の中で、闇を消し去る程の瞬き。 一面の、光。 『闇に届く程の光を、君に』 耳に残る、彼の声。いつか聞いた彼の約束。 闇に光を。導きを。 自分を包む、一面の星の瞬き。 「……ポッタ――!!!!!」 叫んだ。 何も考えず、ただ彼の名前を叫んでいた。他の言葉の何一つ、出てこなかった。 闇の中で、目を閉じても自分を覆ってくる光の渦。 どこまでも堕ちていたセブルスに、諦める事なく導きを。 吼えるような慟哭。 両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちる、 セブルスは星の光の中で、声を上げて泣き続けた。 061020 |