SWEARING





 放課後の喧騒すら遠退いた頃合、セブルスは図書室にするりと静かに入り込んだ。まだ閉館時間ではないが、あまりこの場にいるのは好ましくなかった。普段ならば本に囲まれているのは幸せとも思える時間なのだが、最近はそうゆっくりもしていられない。入学以来数え切れない程通い続けたこの図書室で、迷う事なくセブルスは奥へ奥へと足を進める。いつもならば周りなど気にせず堂々と狭い通路を突き進むが、今日のセブルスは時折、脈絡もなく周囲に目を走らせた。

 重い本棚で仕切られて出来た通路をすり抜け、禁書の棚に手を伸ばす。何度も来ているので、本当に危ない物に、そう無防備に手を伸ばす程馬鹿ではなかったし、見て大丈夫な物とそうでない物の区別くらいついた。万一間違えたとしても、対策くらい苦ではなかった。ずっと闇の魔術の研究をしていた自分なのだから。

 照明を落としてある図書室でさえ、夜が来るまでは色とりどりなステンドグラスの窓を通して入り込む光によって、一定の明るさを保つ。長居は無用だ、と目的の本を探し出し、中身の確認をする。パラパラとめくり、窓の光に当てられたページが明るく文字を浮かび上がらせるが、セブルス自身の影がまたそのページに被さって、光を暗く消してしまう。細かな文字の一字一句すら、逃すと魔術には影響が出る。セブルスはどんどん俯くように顔を本に近づけ、文字を追った。集中力が仇になったのか、背後を塞がれている事に、暫く気付かなかった。

「今度は何の呪文だい?」

 出し抜けに聞こえた声。
 セブルスは弾かれたように振り返り、同時に持っていた本を背後に隠した。取り繕う事に気を遣った一瞬の後は、声の主の姿――顔ではなく、彼の存在そのものを認識して、鋭く睨みつけた。

「――相変わらず礼儀を知らん奴だ。コソコソと人の背後に忍び寄って、挨拶の一つもできんのか?」
「君が気付くまでずっと待ってたんだけどね。もう少し警戒心高いと思ってたけど?」
 嘲る声が耳障りだった。目の前で逃げ道を塞ぐ男――ジェームズ・ポッターにこそ見つからぬよう、セブルスは早く寮へ戻らねばと思っていたのに。
 背中に回した両手で、古い表紙のざらざらとした手触りを感じる。お粗末に隠さざるをえなかったこの本は、今更こっそりと本棚に戻そうとしても、ジェームズの目を逃れられないだろう。しかし結局、本の中身が今更問題ではないのだが。この禁書の棚へと手を伸ばした、そのセブルスの行為自体が、ジェームズの攻め入る契機なのだから。
 先手を取ろうと口に出さずに呟いた筈の呪文は、音もなく弾かれて消えた。
「今度は何を教えてくれるの?」
 無言呪文も、近距離で向かい合っていては、なんの不意もつけない。もしもう一度セブルスが、その気配を見せた時、きっとジェームズはそれより早く、直接的にセブルスに攻撃をしかけてくるだろう。長い手足と残酷な判断力を生かして。
「……自分で何をも生み出す事のできない輩が、私を見下すな。貴様など、言われた事ができるだけのオウムに過ぎない」
「その辺のオウムに、君の考え出した呪文を即座に跳ね返す事のできるヤツがいるかい?」
「……」
「僕は自分で生み出せない訳じゃない、生み出す必要がないだけさ。面白い呪文なら、それこそ君が考え出してくれるだろう?」
 セブルスがかつて考え抜いた攻撃呪文は、悉くジェームズに模倣された。あっさり、しかも色までつけて。
「何より楽しいのは、君の苦心の策である呪文を、僕が君以上の威力で返してさしあげる事さ。努力家の君にとっては、何よりの屈辱だろう?」
 ステンドグラス越しの夕明かりが、目の前の長身の男を鮮やかに色づけた。いつどんな時でもこの男は光の中で笑っていた。心の闇すら上手く隠して。
 光を背にする、セブルスはいつでも闇の中。
「後ろに隠したものを出してごらん、どうせ次の呪文に使う為の、基礎となる言葉を調べていたんだろう?なんなら僕が添削してやっても良いよ」
 出し抜けに黒い手が伸びてきて、セブルスは後退る。ローブに覆われたジェームズの手は、笑うように一度力を抜き、再びセブルスの視界を遮るように追いかけてきた。
「っ……」
 今以上に後退っても、背後に回した手がすぐ窓に触れた。軽く鈍い音を立てた。
 手を伸ばしながら一歩近づいたジェームズから、逃れる為にそれでもセブルスは背をそらす。背後のステンドグラスに押し付けられたように。
 本を見せろと言っていたくせに、追い詰めた獲物に加虐心をそそられたのか、ゆっくり影がセブルスの顔に落ちてくる。
 され慣れた行為へ続く、見慣れた、余裕のある顔。

「…!」

 真空の小さな刃が、目の前にあった唇の端に、赤い傷を走らせた。
 見える位置にない自身の傷を、確かめるようにジェームズは視線を斜め下に落とす。威力こそ弱いが、セブルスが短時間で咄嗟に唱えた呪文の効果だ。
 勝ち誇る事もなくセブルスは、自分を見下ろしてきた冷たい瞳を見返した。
 セブルスに伸ばしていた手をそっと戻し、ジェームズは指の腹で、つけられたばかりに傷を撫でる。
 その唇が、笑みへと上がった。

「!!」

 瞬時、全身が鋭い刃に襲われた。
 何が起こったかと考える前に本能は両腕を顔の高さまで上げて目を守る。思わず手放した本が、背後でゴトリと、重たい音を床に鳴らした。
 焼ける痛みに似た衝撃が、ローブを切り裂き、セブルスの皮膚、髪をも突き抜けていく。刃それ自体の唸り声はなく、繊維の途切れる音や、刃の、肌への摩擦音が途切れずセブルスの耳に届いた。
「……お返し、だよ」
 にこりと笑っているのだろう、声の主。
 自分を襲う真空の刃が止まっても、セブルスは暫く両手を下ろせずにいた。知らずと抑えていた呼吸が、過度な程に再開する。じんわりと感じてくる、焼けるような、全身の傷。
「ほうら。君の呪文は、僕がもっと上手に使いこなせる」
 今度こそ、ジェームズの手がセブルスに触れた。頬を優しく撫で、指先で、ついたばかりの傷をなぞる。浮き出ていた血が、擦れて広がった。
 目を守ったまま固まっていた両腕をゆっくり下ろされ、それでもセブルスは無事な瞳でジェームズを見つめる事ができず、下を見ていた。目の前の男の、汚れの無い真っ黒なローブ。
 ジェームズの顔が近付き、頬の傷に舌を這わせる。
 下から上へ傷跡を辿り、血を含む。
「可哀想なセブルス。こんなに頑張ってるのにね」
 上位者からの、揶揄の声。


 スリザリンにおいて、血統は当然の如く重要視される。


「あの気位の高い寮の中で暮らしていくには、純潔じゃない君にはあまり居心地のいい場所ではなかった筈だ。半分とは言え、マグルの血を引く君には」
 言葉を紡ぎながら、ジェームズの唇は面白半分といった感じで、セブルスの頬をついばんでいく。頬や瞼、当然のように唇。
 切り裂かれた体が、傷口から熱を持つ。
「そんな君があの高慢なルシウス・マルフォイのお気に入りにまで上り詰めたのは、君のその努力する姿勢と、その結果があってこそだ。確かに君は、最高の魔法使いの一人になれるだろうさ」
 セブルスの肌に、彼の笑う息が伝わった。
 ジェームズの手が、セブルスのローブに手をかけ、裂けた制服の隙間から、肌へ潜り込んでいく。できたばかりの傷をいちいち辿り、嘲りながら強く引っかき、優しく撫でる。
「残念だったね。君が僕のように『純潔』ならば、血の滲む努力などせずとも、今よりもっと素晴らしい魔法使いだったのだろうに。ハーフの君では、どれだけ強力な呪文を作ろうとも、僕に敵いやしないのに」


 受け継がれる血を、なんの意味もないと言い切る男が、いつまでもセブルスの目の前に立ち塞がる。
 セブルスがその血を意識する程。
 コンプレックスを感じる程、彼はそれを見せびらかす。


 世の中は、なんと皮肉な事か。


「……『純潔』の持つ才能に、半純潔が勝てないとしても」
 肌を擽る指先を感じ、傷の熱と欲の熱に意識を遠ざけても。
「私は、ハーフである事に誇りを持とう。ハーフである事に甘んじるつもりのない私を、誇りにしよう」
 力が抜ける。男の唇を首筋に感じつつ、いつか彼の首を落とす事を夢見て。
 憎み、蔑み、そして求めた彼を追う道。
「いつか思い出すがいい。いつか私に勝てなくなる日。いつか私の呪文が、お前を地に伏すその日には。血統などくだらないものだと、私の方こそ笑い飛ばしてやる。この言葉を」
 力を抜けば、彼の腕に抱き抱えられた。夕明かりは、屈んだ彼の背を通過して、セブルスの視界を暗くした。 
「…ああ、思い出してあげるよ。だから僕を殺しにおいで」
 合わさる唇で、熱と想いが交わっていく。
 埃臭い匂いと床が、空気に溶け込んでいく。


 もう光を浴びて笑う事も無く、背を向け影に溶け込む事もなく、何からも外れて二人は二人の為だけに存在した。



060524




 


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