うたたた。



 文字を追えば、流れてくる新しい世界に浸る。
 新しい知識が新しい見方を教えてくれる。だから本は好き。
 でもそれよりも今、気を取られるのは。
 遠くに聞こえる鳥の声の静けさ。
 柔らかい芝。前髪を揺らし、ページを勝手にめくろうとする風。
 ローブを脱いで、心地良いほどの程の暖かさ。
 包んでくる明るい光は、むしろ好き。



「どっかその辺でいんじゃねえの。のんびりするだけだろ?」
 ジュースの紙パックを片手に、シリウスが辺りを見渡した。ジェームズが隣で大欠伸する。
「ゆっくり横になれるところが良い……」
「良い天気だね。お腹一杯になったから、眠たくなりそうだなぁ。ねえピーター」
「う、うーん」
 味覚破壊されたかのようなリーマスの食事を思い出して、ピーターが曖昧に頷いた。甘党過ぎる彼の食事は、時に人の食欲を減退させる。今も手に持っているのは、紅茶と砂糖の割合が3対1という、なんだかもう違う飲み物だ。甘いものが比較的苦手なシリウスがつい目を逸らし、ジェームズは苦笑した。
 とてとてと四人は連れ立って、食後のくつろげる場所を求め、広いホグワーツの明るい林の中を歩いている。
「昼休みはまだ後30分くらいあるから………ん?」
 ふと、リーマスが言葉途中で口を閉ざし、顔を横に向けて止まった。
「セブルスだ」
 リーマスの声につられて、他の3人もいっせいにそのリーマスの視線の先に目をやった。
 ジェームズが一人、どきりとする。
「……良い場所取りやがって」
 シリウスが呟いた。茂みを越えた、もう少し先に、座っているセブルスがいる。身体が横に傾いている。眠っているのだ。
 林の中の休憩地、と言った所だ。そこだけは木があまりなくて、緑の芝の丘と化している。規模は小さいが、のんびりするには絶好の穴場といった感じだ。先客がいなければ、間違い無くジェームズ達もそこを選んでいただろう。
「スネイプって、うたた寝なんかするんだ」
 ピーターが、まるで不思議そうに呟いた。
 視線の先で、木に凭れたセブルスは、普段なら考えられないほど無防備に眠っていた。足を投げ出して、膝に置いた本はページが何枚も捲れている様子。片手はそんな本に指先がかろうじて引っかかっていて、もう片方の手は、食べかけのサンドイッチを持ったまま力抜け切って、だらんと芝の方へと放り出されている。
「可愛い寝顔だね」
 リーマスが微笑んだ。シリウスが憮然とするが、ピーターですらもリーマスの言葉に頷いた。瞳を閉じたセブルスの眉は、いつもみたいに険しく寄ってない。意地の悪い言葉も出てこないその口は少しだけ口が開いてて、涎でも落ちないかと思う。そこにいるセブルスは、とにかく授業中とは別人で、まるで力が抜けている。子供のようだ。
 身体を横に傾けたセブルスは、顔もそのまま横に傾いて、その内倒れそうになる。しかし危うく、という所で、ぴくり、と身体は元に戻っていく。そしてまた横に少しずつ沈む。その繰り返しで、やがてリーマスがクスリと笑った。
「おい、写真撮れないか。」
 とシリウスが呟いたのは、見惚れたのでは無く、後々の嫌がらせアイテムとして使えないか、と思ったのである。生憎、誰もカメラを持っていなかった。
「――ねえ皆、先行ってて。」
 ジェームズがセブルスを見つめながら、言った。シリウスが怪訝な顔をする。間を置いて、ジェームズが、いたずらっぽく笑った。
「セブルスの横で座っててやろうと思ってさ。起きた時に、いきなり誰かいたら吃驚するだろ?ましてや、うたた寝してる顔なんて絶対に誰にも見せないタイプだし。」
「なんだよ、そんな事なら俺ら皆で起きるの見てやればいいじゃん。俺もあいつが驚く顔見てみてえ」
「4人も行ったら、その前に気付かれるよ。ま、いいから行っててよ。成果は後で教えるから」
 なおも不満顔のシリウスに、リーマスがふと気付いたかのように、シリウスのローブを引っ張った。
「――じゃあここはジェームズに任せて。次の授業に遅れそうになったら、ちゃんと起こしてあげてよ、ジェームズ。行こう、シリウス、ピータ―」
「え、あ、いや……」
「じゃあセブルスを頼むね、ジェームズ」
 手を振って、リーマスはシリウスを押し気味に、そして3人でその場を離れていった。ジェームズはその姿が木の陰に隠れて見えなくなるまで、にこりと笑って手を振った。
 そして完全に一人になると、そっとセブルスの方へと近寄った。

 ――勝手にこんなところでうたた寝なんかして。気軽に寝顔をサービスするんじゃないよ。

 苦笑しながら、ジェームズはそのすぐ傍らに座りこんだ。セブルスは気付かずに眠り続けている。
 ジェームズの気配に慣れているから、気付かない。誰もいない温かい場所で気が抜けるのと同じくらい、セブルスはジェームズの前で気を抜いているから気付かない。

 ――駄目だよ、僕以外の人間にそんな顔見せちゃ。

 無防備な寝顔。
 起こしてしまいそうで、触れるのは我慢した。



 静かな鳥の声。葉を揺らすほどでも無い風。かわりに揺れるセブルスの、少し癖のある黒髪。
 白い手も、君らしい本の選び方も。多分本に夢中になって食べ忘れたサンドイッチとか、そのまま眠ってしまった君。

 光の下で君と二人で会えるなんて、滅多に無いから。

 気が抜けて、幸せ気分で、眠たくなってしまう。
 君の側でならますます。 



「……おい、ジェームズ戻ってこねえぞ。寝てんじゃないのか。」
 席につきながら、シリウスが教室の入り口に何度も眼を向ける。リーマスが教科書をぺらぺらさせながら、穏やかに言った。
「そうかもね。ジェームズも眠たそうだったから。」
「スネイプの横でか?」
 シリウスは顔を顰める。カメラ、持ってれば良かったね、とリーマスが笑った。
「そしたら、すごく良い2ショット写真が撮れたかも」



 セブルス・スネイプは、本を開けたまま、そしてサンドイッチを掴んだまま、呆然としていた。低血圧気味なので、状況把握に時間がかかる。今は何時だったか、どこだったか、何をしていたのか。いや、それは考えれば思い出せる。昼休み、本をゆっくり読みたかったから、友人らの誘いを断って、一人静かになれる場所を探してここに来たのだ。目が覚めたと感じるのは、恐らくそのままうたた寝をしてしまったのだろう。ここはひどく心地良かった。

 ……が、ジェームズ・ポッターと一緒だった覚えは無い。

 セブルスのすぐ横で、自分の腕を枕にして、ジェームズは上を向いてぐうすか眠っていた。規則的な呼吸。無防備な寝顔。きっと誰の前でも見せるのだろうけど、今は自分一人だけが見ているそんな顔。いたずらも嫌味も無くて、ただ眠っている。
「ポ、ポッタ―……」
 何をしている、と問いかけようとして、言葉が出てこない。第一、ここでジェームズが眠っているという事は、自分がこんな所で気を抜いてうたた寝をしていた事も見られていたに違いない。顔が赤くなった。後で何を言われるか、想像もしたくない。突然、ハッ!気付いて辺りを見渡したが、幸い彼の仲間達の姿は見えなかった。既に見られた後であることも知らず、セブルスは安堵の息をついた。
 そしてもう一度、セブルスは、ジェームズに呼びかけようと、彼を少し上から覗き込んだ。怒鳴り起こそうとして息を吸いこんで、

「――」

 その息を、つい飲みこんでしまう。間近で見下ろす、彼の寝顔。整った顔。少しきつく見えがちな目も、今は穏やかに閉じていて。
 半開きの口が、呼吸を伝える。
 何度も、触れた口。
「ポッター……」
 夜に呟くみたいに、彼の名を呼ぶ。
 彼を。

「ジェ…………ジェームズ……」

 意地っ張りで慣れなくて、普段呟く事すらできない、彼の名前。



 突然。
「!!!」
 突然、首に腕を巻きつけられ、引き抱かれた。
「ポッポポポ、ポッター!!」
 強い腕に、その胸に抱かれて、セブルスは逃れようにも姿勢が悪くて力が入らない。
「おはよ、セブルス」
「きっ貴様、お、起きてっ……」
 ジェームズの腕は強くて、暴れても離せない。制服越しにジェームズの体温が伝わってきて、接触にセブルスは熱くなる。
「今起きた。セブルスの声で。」
「……ッッ」
 聞かれていた。名前を呼んだのを聞かれていた。セブルスがどんどん赤く熱くなる。
「セブルスが僕の為に発した言葉は全部聞いてる。寝惚けてる時も、してる最中も」
「は、離せ……」
「僕の名前呼んでくれるのは、すごいレアだよねー」
「知らん……」
「たまんなかった」
「…………」
 恥ずかしくて恥ずかしくて身動き一つすらできなくなったセブルスを、ジェームズはがっちりとその腕で抱き締める。
「…………」
 そしてそのまま、動かなくなる。
「お、おいポッタ―……い、今何時なんだ……?」
 昼間っから、しかもこんな明るい陽の下で抱きしめられる事なんて無くて、セブルスは胸のどきどきが止まらない。頭の中が掻き乱されながら、なんとか必死に、本来の自分を取り戻そうとする。とにかく日常的な話から。
 しかし、ジェームズは動く事無く、知らなーいと間の抜けた言葉を返してきた。
「知らないって、おい……おい、もしかして、もう次の授業が始まってる頃じゃないのか!?」
 気付いて、セブルスが本格的に暴れ出した。が、ジェームズはまったく動こうとしない。
「ポッター!!おいッ!!」
「もう間に合わないよ、多分。もうサボっちゃおう。お互い、寝不足だろ?」
 寝不足の理由は同じ。いや、だからと言って、サボリなどとんでもない。
「冗談じゃない、サボるなら勝手にサボれ…私はっ……」
「じゃあ僕が寝てるの、見てて」
「なんっ……」
 反論する間も無く――ジェームズの規則正しい寝息が聞こえてきた。それでも腕はセブルスを抱き締めたまま。
「……」
 怒鳴る先を無くし、セブルスは赤い顔で――結局、しおしおとその胸に体重を預けるしかなかった。少し腕の力は緩んでいたので、せめて態勢を変えて、間近でジェームズの寝顔を眺めてみる。

 ――馬鹿面で、さぞ気持ち良さそうでけっこうな事だ。

 半分不貞腐れながら、セブルスは授業を諦める。
 耳に直接、ジェームズの鼓動を聞く。



 遠くの鳥の声。肌をくすぐる風。
 柔らかい芝。
 心地良い暖かさ。明るい光。
 落ち着いたリズム。



 寝不足だから、眠たくなるのは仕方ない。
 心臓の音は子守唄だと聞いた事もある。
 だから、きっと仕方ない。
 気持ち良いのは。



 もうせっかくだから、セブルスもそのまま目を閉じた。
 温かい腕が自分を包んでて。






 気を抜ける、光みたいな二人の時。
 二人して、うたた寝。


020911





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