丹沢賛歌

 

高校時代に友人にさそわれて、表屋根コースをあるいたのが、丹沢との出会いであった。当時は、ただシンドイだけで、面白くもおかしくもない山だというのが第一印象であった。そのころはもっと高い山に登るための、トレーニングがわりに歩くことが多く、登りはガイドブックに記載されている通常の所要時間の25%レス、下りは50%レスなどというかなり無茶な目標をたてて歩いていたため、景色や自然を楽しむなどという余裕はなかったように思う。その後、大阪勤務などもあり、しばらくは丹沢に接する機会はなかったが、再び丹沢通いが始まったのは、昭和49年に鎌倉に移り住んでからのことである。なぜ丹沢に登ったのかといえば、ただ丹沢が一番身近にあったからである。家内の実家が県北の山北町にあった関係で、西丹沢には特に、足しげくかよったが、週末は東丹沢の主要コースが賑わうのに、西丹沢は交通の便が悪いためか人出が少なく、丸一日歩いても誰一人として、人に出会わないことも珍しいことではなかった。

時には会社の仲間と一緒に行くこともあったが、殆どが単独行であった。気ままにバイクで林道を駆け巡り、珍しい鳥に出会ったら、何時までもその地点にとどまるというパターンなので、単独行が一番気楽であった。丹沢は標高はそれ程高くはないが、危険な目にも何度か会ったことがある。霧に巻かれて、さんざん道に迷い疲労困憊して、イチカバチカ沢を下ったことがあった。こうした場合、尾根道に上るのが鉄則だといわれているが、体が冷え切ってとてもそんな体力は残っていなかった。滝の両脇にある潅木にぶら下がって、なんとか降りてきたが、最後の難所でバランスを崩して転落してしまった。運良く、滝壷に落ちたので、助かったが、もうすうセンチずれていたらとても助からなかっただろう。やっと林道にたどり着いたときは、ほっとして、腰が抜けてしまった。この時は霧の中で、ヒガラとキビタキの声が絶えず聞こえていた。

8月15日は会社が休みだったので、いつも丹沢に登っていたが、ある夏、山神峠から伊勢沢の頭に向かって歩いていたときに、突然回転性のメマイに襲われ歩行が困難になったことがあった。真夏で日が長く、標高も高くはないし、通常であればどおという場所ではないが、なにせ人がだれもいないし、身動きができずどうすることもできなかった。恐怖の数時間がすぎ、ようやくフラフラ歩けるようになったが、人里にたどり着くのが悪戦苦闘であった。その時は、自分が心臓が悪いなどとは思わなかったが、今思えば、心臓の発作が起きていたのかもしれない。鹿がすぐ近くにやってきたり、カケスが盛んに騒いでいたのが、記憶にのこっている。

長いこと丹沢山塊を歩いてきたが、その中で一番気に入っている山はどこかと言われれば、迷わず檜洞丸と答えるだろう。最近では頂上付近のブナの木等の立ち枯れが目立ち、昔のように神秘的で幻想的な雰囲気は薄れてしまったが、やはり別天地であることには変りがない。2番目となると、かなり迷うところである。大室山、加入道山、鍋割山なども素晴らしい山ではあるが、結論的には丹沢山ということになるだろう。丹沢山から丹沢の最高峰である蛭が岳に向かって、10分ほど歩いた地点から見渡す風景はまさに絶佳である。丹沢山に登るには通常は小田急線の渋沢駅からバスで大倉まで行って、そこから通称バカ尾根を4時間程かかって塔ヶ岳に登り、さらに尾根道を1時間ほど歩いてやっと到達する。鎌倉山からはバスで藤沢に出て、小田急線で相模大野経由で渋沢に行くか、鎌倉駅に出て、横須賀線で横浜迄行き、さらに相鉄線で海老名迄行って小田急線に乗り換えるかの二つのコースがあり、どちらでも所要時間は同じ位で、自宅を出てから大倉まで行くには、どんなに順調でも、2時間半位はかかった。したがってまともに丹沢山に登るには自宅を出てから、休憩時間を含めると8時間近くはどうしてもかかることになる。朝8時に家を出れば午後4時ごろに着けば上出来というのが、常識的な行程と思われる。

ところが今から15年位前のことだが、朝8時に家を出て,午前11時40分には丹沢山の山頂に到達したことがあった。所要時間は3時間40分である。どうしてそんなことが可能だったのだろうか?この日はオフロードバイクで秦野から蓑毛、ヤビツ峠、札掛を経由し、塩水橋から、林道を駆け上り堂平に10時頃到着した。そこから一時間半の行程で、丹沢山の山頂に到達することが出来たのである。現在はこの林道は入り口でロックされており、立ち入ることが出来ないので、とてもこんな芸当は無理だろう。

丹沢には、ハイキングコースとして、有名な場所から、ほんの少し外れたところに、まだまだちょっとした秘境が隠されている。私もそんな秘密の場所をいくつか確保していたが、不思議なことにその場所には、色々な趣味をもった人が、密かに集まっていた。ある人は、カメラの機材をその場所に隠して、動物や鳥の写真を専門にとっていた。キノコやシダやコケ類を観察するのが、専門の人もいた。昆虫の専門家にも出会ったことがあった。丹沢山の周辺にはそのような場所が特に多いようであった。意外なことに私は丹沢で野鳥を専門に観察する人には、あまり出会ったことはなかった。

アカショウビンとか、イスカなどに出会える可能性を求めて歩いてきたが、結果として丹沢で特別珍しい鳥に出会った訳ではない。丹沢山のオオアカゲラなどは、特に印象に残る鳥であった。

健康を害し、もう丹沢の尾根や沢を歩くことができないが、せめて車で林道を可能な限り走って見たいものである。でも最近丹沢の主要な林道は殆どが、入り口でロックされて通行ができない。自然保護のためには好ましいことなのかもしれないが、私にとっては大変残念なことである。

                                                       (2003年5月)

高校時代から山登りのリーダー格であったT君が急逝されたのは、いまから30年近く前になるだろうか?出張先の北海道で、突然死されたとのことであったが、あの大柄でたくましい、同君がこんなにあっけなく逝ってしまうなど全く信じられないことであった。そして今年になって、同じく山仲間であったA君の訃報に接することになった。、同君は高校時代は病弱であったが、大学に入ってからはすっかり元気になり、山でも私よりはるかに馬力があった。そのご日本経済新聞の記者として活躍されていた。長年に渡り、同君には世話になりっぱなしであったのに、全く寂しいことである。  (2005年1月)

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