御殿場線谷峨駅から畑沢にそって

 神奈川県足柄上郡山北町谷峨、西丹沢と足柄にはさまれたこのあたりは、冬はさむいが、ミカンやお茶の産地でもあり、素晴らしい自然と風光に恵まれた比較的裕福な地域である。

家内の実家に近いことから、谷峨の駅から矢倉岳の方向に畑沢の清流に沿って進む、名も無い道が、私のフィールドになっている。この道は最終的にはゴルフ場で行き止まりになるが、さらに車が入れない山道を進むと、足柄峠から矢倉岳に登る登山道にぶつかる。今では道があれており、時々山菜を取る人や、渓流釣りの人や、ハンターが立ち入るていどだが、遠い昔はかなり人通りの多い街道であったという話をきいたことがある。昔何度となしに探検してみたが、ゴルフ場から1時間もあるけば、矢倉岳の頂上や足柄峠などに行くことができた。道があれていて、深い谷に迷い込んだこともあった。新緑の頃はオオルリの声をあちこちで聞くことができるし、キビタキやクロツグミなどの美声も聞くことが出来る。まれにだがサンコウチョウの声もきいたことがあった。

家内の実家の庭には立派な滝があり、義父が一人で築き上げた庭園や池などは年季が入った実に見事なものである。植木の一本一本に、それぞれ言われがあり、例えば梅の老木は曽我の梅林から移植したものである。植木屋から購入したものもあるが、山から苦労して取ってきたものもかなりある筈である。清流を生かした池にはイワナやマスがいつでも泳いでおり、これを釣り上げてバーべキューにするのも贅沢な楽しみであった。この池にはオシドリがやってきたことがあるそうである。またアオサギに鯉をごっそり取られたこともあった。家もなかなか立派なもので、特に清流を望む風呂は見事で、温泉こそないが、しゃれた和風旅館の離れにでも来ているような雰囲気になる。応接間からは、居ながらにしてオオルリやサンコウチョウの声を聞くことができた。先日行った時は、部屋の直ぐそばにルリビタキのオスが羽を休めていた。例年軒先でキセキレイが営巣するし、庭にある3個の巣箱はヤマガラかシジュウガラが毎年利用している。すぐ横を流れる畑沢に竿を出すとヤマメやニジマスなどが釣れることがある。ホタルもいるし沢ガニなどもとれる。隣の家の屋根にはムササビが住み付いていて、日暮れときになると餌をとりに飛び立っていく。夜、車を運転していてタヌキを轢きそうになることが何度かあった。

ここを拠点にすると檜洞丸、大室山、加入道山、畦ガ丸など西丹沢の山々に日帰りで十分登ことができるし、裏道を通れば山中湖にも1時間もかからずに行くことができる。最近体調を崩してからは、めっきり訪れる回数が減ってしまったが、以前は毎月のように出かけていた。また金時山の裾を巻いている林道を利用すると箱根の仙石原にも簡単に行く事ができた。

この家は先祖伝来のものではない。義父は満州からの引揚者であり、戦後は随分苦労をしたそうであるが、二宮にある会社に勤めていたころに、この地を見つけたそうである。もっとも気に入った土地が見つかったからと言って、直ぐに手にいれるというわけにはいかない。この地域ではどんなに現金をつまれても、先祖伝来の土地をよそ者に手放すということは名折れであるといった気風が強く、関係者以外の土地の取引などはめったに行われることはないそうである。風光明媚で交通の便も悪くないが、確かに山北町で別荘地のようなところは見かけた事が無い。義父がこの地に終の住処を見つけられたのは、その人柄が、地元の部落住民に受け入れられたからであろう。

ただいくら歓迎され、土地も購入できたとしても、この地に家を建てて定住すのには相当の決断が必要だったと思う。家族の協力がなければとても実現できなかっただろう。私にとってもこうしたライフスタイルは正に理想とするところである。今すぐにでもこうした環境に移住したいのだが、とても家族の協力は得られないし、健康を害してしまった以上、あきらめるしかない。郷に入れば郷にしたがえというが、このあたりのシキタリには、独特のものがあり、なじむのは容易なことではないと思うが、この一家はすっかりこの地に溶け込んでしまって、優雅な山村の暮らしを満喫しているようににみえる。

この場所ならニワトリを自由に飼う事ができるだろうと思っていたが、外敵が多く、何度も失敗している。犯人はイタチかキツネではないかと思われる。小鳥やヒヨコはヘビにやられることも多い。この地で鹿やカモシカを見かけたことはないが、以前付近にクマが出で、子供達が鈴をつけて学校に通ったこともあった。

以前義父がこの畑沢に沿った道に桜の苗木を植えたことがあった。残念ながらかなりの本数は枯れてしまったが、残った桜はかなり、大きく育ち春には見事な花を咲かせている。義父は昨年90歳で逝去したが、義父が残した桜の木はこれからも毎年綺麗な花をさかせて、人々を楽しませてくれることだろう。

御殿場線は昭和9年に丹那トンネルが開通するまでは、東海道線の本線であったとのことである。山北駅には当時の名残もうかがえるが、一つ先の谷峨駅は、周囲に山が迫っていて、とても神奈川県のJRの駅とはおもわれない、日本映画に出てくる典型的な田舎駅といった風情がある。昼間は1時間に一本あるかどうかというダイヤも珍しい。ここで下車するハイカーの殆どは進行方向右手にそびえる大野山に登る人か、バスで西丹沢に向かう人である。進行方向の左手に向かう人は地元の住人が殆どであり、畑沢を遡って足柄方面を目指すハイカーに出会うのは極めてまれであった。

これといって名所旧跡がある訳ではないし,同じような場所はこのあたりには他にも沢山あると思うが、御殿場線谷峨駅から畑沢に沿ってっゴルフ場まで至る道筋は私にとっては最高の探鳥コースであり、思い出が一杯詰まったフィールドである。昔KJGの研修会をこの沢筋で実施したことがあり、メンバーで、その後もこの地を訪れた人はかなり居られるようである。このような別天地が神奈川県にもまだ残っているのは嬉しいことである。

                                  (2004年1月 )

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