横須賀線

 

 

高校時代の1年を加えると、30年間近く、横須賀線で東 京まで通ったことになるので、通算すると、少なくとも1年以上は横須賀線に 乗っていた計算になる筈である。

高校2年の時は、学 校の都合で早朝まだ暗いうちに家をでることが、何度かあった。バスがまだ走っ ていない時間なので、浄明寺から約40分かけて鎌倉駅まで歩いたが、杉本観音の裏山あたりから、フクロウやアオバズクそれに名前がわからない鳥の声が聞こ えていたのが、今でも耳にのこっている。謎の鳥はフクロウの仲間だとは思うのだが、果たして何だったのだろうか?

そのころの横須賀線 は、大雨が降ると決まって戸塚駅付近が冠水し、不通になることが多かった。横浜駅で23時間待たされることがあったが、そんな時はいつも横浜と東神奈川との中間位にある、坂田 種苗(サカタのタネ)で時間をつぶしていたような記憶がある。

その後、あちこちに 移り住んで、再び鎌倉に戻ってきたのは、昭和49年のことであった。それから29年間横須賀線と付き合ったことになる。片道1時間40分は、かなりの遠距離通勤であるが、それでも元気な頃は全く苦にはならなかっ た。鎌倉では絶対に座れないが、慣れてしまうと立っていても全く、苦痛ではなくなるものだ。仕事でどんなに疲労困憊しても、電車が大船を過ぎて左手にカーブして北鎌倉の駅が近づい てくると、急に緑が多くなり、明らかに空気が変わってきてほっとした気分になる。さらにトンネルを抜けて鎌倉駅に近づくと、また若干、空気の質が変わり、 潮の香りがするとてもさわやかな空気になり、急に活力が沸いてきたものだった。

それまでは電車が揺 れているなんて感じたこともなかったが、最後の56年はメマイや乗り物酔い、不整脈などに悩まされ、悪戦苦闘の連続であった。

私には横須賀線とい うとブルーの車体というイメージが強いが、丁度体調に異変を感じるようになった頃、このなつかしい車両にかわって、ステンレス製の新型車両が導入され始め た。この車両はJR東日本の自信作だそうであるが、私にとっては、魔の車両で、揺れが激しく、4人掛のゆったりした車両が少ない上に、スプリングがわるいし、換気をしようにも窓があけ られないしで、未だにまったくなじめない。そんなわけで当初は旧型車両を選んで乗車していたが、いまでは100%新型になってしまった。

会社を辞めてから2年になるが、その間横須賀線には全く乗らなかった。先月、全く久しぶりに東京 まで出かけてみたが、やはり気分が悪くなって散々であった。それでも、帰りに電車が北鎌倉に近づくと、気分の悪いのが、治ってくるから不思議である。

なお蛇足であるが、私は横須賀線の車中では、必ず専門書を読むことに決めていた。(体調を崩して からは、夕刊フジ程度しか読む気がしなくなったが)サラリーマンをやっていて、なにがつらいか、それは仕事に自信がないことではないだろうか?私は限りな く釣りバカ日誌のハマチャンに近い、サラリーマン生活を送ってきたが、業務関連の専門知識だけは人並以上に身に付けようと努力をしてきた。といって大した 成果があがった訳ではないが、横須賀線での20数年間で身に着けた知識は、大学での4年間に得た知識よりも、はるかにビジネス面で役立つものであったこと だけは確かである。

内憂外患という言葉があるが、確かに、私にも、内に憂いがあり、外に患いがあった。そして内と外 との中間にあった横須賀線は、私にとっての唯一の居場所だったのかもしれないと時々思うことがある。

  (2003年3月)

トップに戻る