フォークランド諸島 (Falkland islands)
[地理]
南アメリカ大陸最南端の北東、マゼラン海峡の東方沖750キロにある大西洋上のイギリス自治領の島群
アルゼンチン名はマルビナス諸島(Islas Malvinas)
主都は東フォークランド島のスタンリー 港湾都市で、空港も近辺にある
約200の小島からなり、総面積1万2173平方キロ
面積の大部分を占めるのが東西フォークランドの2島で、付近の小さな島々を含めると東フォークランド島は面積6760平方キロ、西フォークランド島は5413平方キロ
フォークランド海峡によって、東と西にわけられている
東フォークランド島は2つの深いフィヨルドによって南北にわけられており、北側は台地(ウィックハム台地 アスボーン山、標高705m)、南側は低地で、湿地や牧草地になっている
西フォークランド島はとくに東部に起伏が多く、フォークランド海峡と平行に標高700mのアダム山をふくむホーンビー山系が広がる
氷河侵食を受けた低い丘陵地が大部分を占め、荒地、泥炭地が多い
低地は粘土、粘板岩、軟らかい砂岩からなり、高地や隆起した部分は硬い砂岩と白い石英質からなる
銀を非常に多くふくむ方鉛鉱とガラス製造に適した白砂を産出
島々の海岸部はフィヨルドが発達していて深くいりくんでおり、天然の良港となっている
気候は冷涼で樹木はほとんどない
多雨多湿で乾期は11月のみ
[政治、経済]
イギリスの総督と10名の議員からなる立法議会によって統治されている
議員の内8名は選挙で選出され、残りの2名は行政官と経済大臣 他の3議員と総督とともに行政委員会を構成
羊の放牧と羊毛加工が主産業 羊毛は最大の輸出品で、皮革製品も輸出されている
[歴史]
| 年月日 |
事項 |
| 1592年 |
イギリスの航海者ジョン・デービスが発見 |
| 1600年 |
オランダの航海者ウィートが来島、セバルド島と命名(この名称は現在もオランダの地図に残っている) |
| 1690年 |
イギリスのジョン・ストロング、帆船「ウェルフェア」で東西フォークランド島の間の海峡を航海
前海軍卿フォークランド子爵に因んでフォークランド海峡と命名
(島名はこの海峡の名に由来)
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| 1764年 |
フランスのサン・マロからの入植者たちが東フォークランド島に植民都市を建設 (フランス名「マルイヌ」(マロからの人々の意),フォークランド諸島のアルゼンチン名マルビナス諸島は、これに因む) |
| 1765年 |
西フォークランド島にイギリス人が定住開始 |
| 1774年 |
イギリス人居住地撤去
スペイン領(総督府設置) |
| 1816年5月25日 |
アルゼンチン、スペインから独立
領有権を継承 |
| 1820年 |
アルゼンチンが領有を宣言 |
| 1826年〜1831年 |
フランス商人ルイ・ベルネ、アルゼンチン政府の許可を得て東フォークランド島に入植 |
| 1829年 |
アメリカ、軍艦「レキシントン」をフォークランド諸島に派遣
アルゼンチン軍事施設を破壊し、フォークランド諸島の中立を宣言 |
| 1833年 |
イギリス領となる |
| 1834年 |
イギリス、ポートスタンリーに総督府を設置 |
| 1964年 |
領土問題が国連に提訴される |
| 1965年 |
国連決議2065号
イギリス・アルゼンチン両国の領土交渉を促す |
1982年4月2日
〜6月14日 |
フォークランド紛争
アルゼンチン軍が占領するがイギリス軍が奪還 |
| 1985年 |
サウス・ジョージア島とサウス・サンドウィッチ諸島を属領から分離
両島は独自のイギリス自治領となる |
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