カロリングちょう
カロリング朝
751年〜987年
Caroling,Die Karolinger,Les Carolingiens
751年〜987年
フランク王国の王朝
王朝の名はカール大帝(シャルルマーニュ)の名にちなんだもの
もとはフランス東北部にいたフランク人豪族の家柄
6世紀末にピピン1世がメロビング朝の宮宰となる
7世紀の後半には実質的なフランク王国の支配者となる
732年10月17日 ツール・ポアティエの戦い
 カール・マルテルがフランスに侵入したイスラム教徒軍を撃破
カロリング家の西ヨーロッパで最強の実力者とされるようになる
ローマ教皇はメロビング家の王を廃位することに同意
751年 小ピピン(ピピン3世)がメロビング朝ヒルデリヒ3世から王位を奪い、カロリング朝を創始
カール1世の時西ヨーロッパ全域にわたる大国家となる
カール大帝にはローマ教皇の手で西ローマ皇帝の冠がさずけられる
カール大帝の死後はルートウィヒ1世(ルイ1世)がフランク王と西ローマ皇帝の位を継承
ルートウィヒの死後、3人の子の間に相続争いがおきる
843年のベルダン条約、870年のメルセン条約によって国土は3分割
9世紀末、イタリアで断絶
911年 東フランク王国(ドイツ)で断絶
987年 西フランク王国(フランス)ではカペー家のユーグが王となり王朝は断絶