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にちろせんそう 日露戦争 1904(明治37)年2月6日〜1905(明治38)年9月5日 Russo-Japanese War 朝鮮・満州の支配をめぐる日本とロシア帝国の間で戦われた戦争 朝鮮半島・満州(中国東北部)を主戦場とした 1900(明治33)年、ロシアは義和団事件(北清事変)を機に満州に15万の兵を送り、事件後も撤兵せず満州の独占支配と朝鮮進出をもくろみ(→三国干渉)、日本の利害と衝突 1903(明治36)年6月の御前会議で開戦覚悟での対露交渉方針を決定、8月以降数次にわたりロシアと交渉したがついに妥協点に達せず、1904(明治37)年2月に国交を断絶 1904(明治37)年2月8日瓜生戦隊による仁川港奇襲で戦争開始、10日宣戦を布告 陸軍は4軍を編制、総司令官大山巖、総参謀長兒玉源太郎のもとに満州軍総司令部を設けて全軍を統轄 1904(明治37)年8月〜1905(明治38)年1月の旅順要塞、1905(明治38)年3月の奉天会戦、5月27日の日本海海戦など一連の戦闘で日本が勝利 同年アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により8月から米ニューハンプシャー州ポーツマスにおいて講和会議(日本全権小村寿太郎外相 ロシア全権ウィッテ)が開催され、9月に講和条約(ポーツマス条約)を締結 以後、ロシア革命まで日露両国は良好な関係を維持 Russo-Japanese War Русско-японская война
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