たいへいようせんそう
太平洋戦争
- 1879(明治12)年〜1883(明治16)年
Guerra del Pacifico 太平洋沿岸の硝石採掘に関する争いに起因するチリとボリビア、ペルー連合軍の戦争 1978(昭和53)年 ボリビア政府、チリ系の硝石会社への課税を強化 1879(明治12)年 ボリビア政府が納税を拒否したチリ系硝石会社を接収 1879(明治12)年2月14日 チリ艦隊がボリビア領アントファガスタに陸兵を上陸させる 3月 ボリビア、チリに宣戦布告 3月 ボリビアと秘密軍事同盟を結んでいたペルーがチリに宣戦布告 4月5日 チリがボリビア、ペルー両国に宣戦布告 1883(明治16)年10月20日 アンコン条約 ペルー降伏 1884(明治17)年4月4日 バルパライソ条約 チリ、ボリビア休戦 ボリビア、ペルーはチリに領土を割譲 ボリビアは太平洋沿岸の領土(硝石が採掘される砂漠地帯)、ペルーは南端部の領土(タクナ地区、タラパカ地区)を失う 1904(明治37)年 チリとボリビアの講和条約締結 1929(昭和4)年 チリ、タクナ地区をペルーに返還 1999(平成11)年11月13日 チリとペルー、アリカ問題に関する1929年条約の実施取決めに合意・署名
- 1941(昭和16)年12月8日〜1945(昭和20)年9月2日
Pacific War 日本側の呼称は大東亜戦争 第2次世界大戦のうち、主として太平洋方面における日本とアメリカ・イギリス・オランダ・中国・オーストラリア・ニュージーランド等の連合国軍との戦争 1941(昭和16)年12月8日〜1945(昭和20)年9月2日 大陸の権益争いで日本と連合国が対立がエスカレートし、1941(昭和16)年12月8日(以下、日本時間)、日本軍のコタバル上陸、真珠湾攻撃(日本側呼称;ハワイ海戦、先に攻撃したのはアメリカ海軍駆逐艦「ワード」)によって開戦 戦争初期、日本軍は優位に戦いを進め、東南アジアの資源地帯と太平洋の島々を占領下に治めたが、翌1942(昭和17)年にはアメリカを主力とする連合軍が反攻に転じる 日本軍が勝利を収める戦闘もあったが、工業生産・補給能力に勝る連合国軍との戦闘に各地で消耗、戦線は日本本土へと後退を続ける 連合軍潜水艦と機雷散布による通商破壊戦と長距離爆撃機による本土空襲で継戦能力は無様に低下 また、当時の日本では(今もそうだが)食料の自給ができないため、各地(大部分の占領地域を含む)で深刻な食糧不足が発生した 1945(昭和20)年8月に入ると原爆が投下され(6日、9日)、ソ連も対日参戦(9日)、もはや戦争継続は不可能であった 8月14日 ポツダム宣言受諾を連合国に通達 8月15日 終戰ノ詔書(玉音放送)をラジオで放送・停戦発効(一部の部隊の反乱もあったが、すぐに沈静化) 9月2日 降伏文書調印式 (→降伏文書)
→年表
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