だい1じせかいたいせん
第1次世界大戦
1914(大正3)年7月28日〜1918(大正7)年11月11日
World War I
1914(大正3)年7月28日〜1918(大正7)年11月11日
三国同盟三国協商との植民地獲得をめぐる対立を背景として連合国28カ国と同盟国4カ国の2大陣営にわかれて戦った、史上初の世界大戦
イギリス、ドイツ間の建艦競争に代表される軍備拡張競争や、オスマン帝国の衰退にともなうバルカン半島におけるパン・ゲルマン主義とパン・スラブ主義との民族主義的対立も原因としてあげられる
(1912年〜1913(大正2)年の2度にわたるバルカン戦争によってバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」となった)
サラエボ事件を導火線として1914(大正3)年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告
協商側(連合国)、同盟側各国も参戦し、大規模な国際紛争に拡大した
同盟側にはドイツ、オーストリア・ハンガリー帝国の他に、オスマン・トルコ帝国、ブルガリアが参加
イタリアは1915(大正4)年5月23日にオーストリア・ハンガリーに宣戦布告して三国同盟を離脱し、協商側で参戦
(イタリアはトリポリを巡ってオスマン・トルコ帝国と対立 南チロルやトリエステの帰属をめぐってオーストリア・ハンガリーと対立していた)
協商側にはイギリス、フランス、ロシア、イタリア、ベルギー、日本、アメリカ、中国などが参戦
ヨーロッパを主戦場に、大西洋、太平洋、中東、アフリカでも戦闘がくりひろげられた
開戦前、開戦当初は短期決戦で終わると考えられていたが、塹壕陣地を構える長期戦となった
ドイツ軍はシュリーフェン・プランに基づいて中立国ベルギー経由でフランスに侵入 パリまで50kmにせまったがフランス軍の反攻でドイツ軍は後退
1917(大正6)年4月 アメリカが連合国側で参戦
1918(大正7)年〜1919(大正8)年 スペインかぜ(A型インフルエンザ)が大流行し、これが戦争の終結を早めたとする説がある
1918(大正7)年11月のドイツ降伏で終戦
1919(大正8)年1月18日〜5月 パリ講和会議
1919(大正8)年 ベルサイユ条約によって連合国とドイツの講和が成立

1919(大正8)年9月10日 サン・ジェルマン条約
1919(大正8)年11月27日 ヌイイー条約
1920(大正9)年6月4日 トリアノン条約
1920(大正9)年8月10日 セーブル条約
1921(大正10)年7月2日 ベルリン条約
1923(大正12)年7月24日 ローザンヌ条約

欧州大戦

年表