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ヒトラー,アドルフ Hitler,Adolf 1889(明治22)年4月20日生 1945(昭和20)年4月30日没 オーストリア、ブラウナウ・アム・イン出身 ドイツの政治家 身長172cm 菜食主義者 好物はチョコレート 大の自動車好きだったが自分では運転しなかった 部屋にはフリードリヒ2世(大王)の肖像画を掲げていた ニックネームは「ボヘミアの伍長」 父、アロイス・ヒトラー 母、クララ・ヒトラー 兄弟は異母兄、異母姉、妹 兄と姉の母はそれぞれ異なる フォルシュタット街15番地2階中央部の一室で誕生 3歳の時、パウサに転居 6歳の時、ハーフェルトに転居 1895(明治28)年 フィシュルハムの公立小学校に入学 3年生の時、ラムバハに転居・転校 1900(明治33)年6月 小学校卒業 リンツ実科学校に入学 留年を繰り返す シュタイエル実科学校に転校 同校中退 1906(明治39)年4月〜6月 ウィーンに滞在 1907(明治40)年 ウィーン造形美術学校試験に不合格 (1次試験は通過したが、2次試験で不合格) 12月21日 母親が死去 享年47 その死を大変悲しみ、診察・治療・死亡確認をしたブロハ博士は「多くの臨終を見たが、彼ほど悲しんだ者を見たことがない」と後に語っている 1913(大正2)年 ミュンヘンに移住 建築コンサルタント等を営む 1914(大正3)年1月18日 ミュンヘン治安警察にオーストリア領事館に連行される ザルツブルクで徴兵検査を受ける 身体虚弱のため不合格 1914(大正3)年8月1日 ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がロシアに対する動員令を発令 ミュンヘン・オデオン広場での政府支持を叫ぶ群衆に正装で加わる (ハインリッヒ・ホフマンが撮影した写真が残っている) バイエルン王ルードヴィヒ3世へ王の軍隊への志願文書を提出 第1バイエルン歩兵連隊に編入 第2バイエルン歩兵連隊(訓練部隊)に転属 第16バイエルン予備歩兵連隊に配属 第1次世界大戦に従軍 イープルでの戦闘に参加 10月 上官のヴィーデマン中尉とマックス・アマン軍曹の推薦で鉄十字功2級勲章を授与される 伍長に昇進 クリスマスに部隊でただ一人家族から何も送られてこない彼に同情した戦友たちが募金した10マルク金貨を贈られるが固辞している 1915(大正4)年 連隊本部伝令兵 1916(大正5)年 砲撃で吹き飛ばされ負傷 ヴィーデマン中尉に救助されれる 野戦病院に入院 ベルリンに後送される ヴィーデマン大尉(昇進していた)に原隊復帰希望の書簡を送る 1917(大正6)年3月 バイエルン第16歩兵連隊に復帰 春季攻勢準備のためアラスに移動 7月 イープルでの戦闘に参加 1918(大正7)年8月4日 鉄十字功1級勲章を授与される (勲章を佩用する機会があるときは終生この勲章のみを左胸に佩用した) 10月14日 塹壕で毒ガス攻撃を受ける (1ヶ月近く失明状態が続く) 休戦後、ミュンヘン・テルケン街の兵営に戻る 1919(大正8)年 歩兵第2連隊(ミュンヘン、シュヴァーヴィンク)で調査関係の仕事に就く 教育将校育成講習を受講 ミュンヘン大学、フォン=ミュラー教授に師事 バイエルン第7師団(ミュンヘン)政治局啓発課の政治教育将校となる ドイツ労働者党(DAP)入党 党員番号7 直属上官のマイヤ大尉から軍の機密費20マルクをバイエルン王国時代の金貨で受け取る 10月16日 ミュンヘン、ホフブロイハウスで大衆集会を開く 党本部にアドラー社製のタイプライターを導入 1920(大正9)年 除隊 4月1日 ドイツ労働者党(DAP)は国民社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)に改称 1921(大正10)年 党首に就任 1923(大正12)年 ミュンヘン一揆 失敗、逮捕 ランズベルク刑務所に投獄される 1924(大正13)年 獄中で「我が闘争」完成 12月20日 釈放 1925(大正14)年 釈放 SS最高指導者に就任 同年 オーストリア国籍離脱 1929(昭和4)年10月 ハインリッヒ・ホフマンの紹介でエヴァ・ブラウンと出会う 1932(昭和7)年2月 ドイツ国籍取得 ワイマール共和国大統領選に出馬 4月10日 次点で落選(当選したのはパウル・フォン=ヒンデンブルク) 1933(昭和8)年1月30日 ワイマール共和国首相就任 同年 ベルリン・モーターショーに出席 モーターショーでアウトバーンの建設を発表 自動車を国民の手の届くものにすることを宣言 モーターショー開催から3カ月後、フェルディナント・ポルシェと会談 国民車構想を示し、その設計を依頼 1934(昭和9)年 大統領就任 首相兼任で総統となる 同年 ベルリン・モーターショーで国民車構想を発表 1934(昭和9)年6月14日 ヴェネツィアでベニト・ムッソリーニと初会見 1936(昭和11)年8月1日 ベルリン・オリンピック開幕 1938(昭和13)年 国防大臣、国防軍最高司令官兼任 5月 フォルクスワーゲン生産工場(ファーラースベーン近郊)起工式 ポルシェ設計の乗用車を「Kdfワーゲン」と命名 1939(昭和14)年3月 ウェルナー・フォン・ブラウンらのA-4ロケット研究を視察 9月1日 第2次世界大戦勃発 (A-4ロケットの開発を最優先計画から外す) 1940(昭和15)年6月22日 コンピエーヌでのフランスとの休戦協定調印に出席 6月23日 パリを訪れる エッフェル塔、廃兵院、ノートル・ダム寺院、オペラ座、モンマルトルの丘等を訪問 ナポレオン1世の棺を見学(棺の上に帽子を置き感慨深げに見守ったと伝えられる) レ=アルの商品取引所の円屋根を指して、「あれは取引所だろう」と指摘したと言われる オペラ座についても抜群の知識を有し、建築された当時の楕円形ホールの存在を指摘したと言われる (あまりにパリについて詳しいので、パリを訪れたのは一時期パリに在住していたヒトラーの異母兄であったとする影武者説もある) ライヒシュタット公(ナポレオン2世)の棺をカプツィーナ礼拝堂からパリ・廃兵院に移させる 1941(昭和16)年 陸軍最高司令官兼任 (1942(昭和17)年10月3日 A-4ロケットの打ち上げ成功) 1943(昭和18)年7月7日 ウェルナー・フォン・ブラウン、ヴァルター・ドルンベルガー将軍らを総統司令部に呼び出し、1942(昭和17)年10月3日のA-4ロケットの記録映画を見る この時、「なぜ諸君の仕事が信じられなかったのか。1939(昭和14)年にこのロケットを持っていたら、今回の戦争は起こらなかった」とつぶやいたと伝えられる 1944(昭和19)年7月20日 暗殺未遂事件(7月20日事件)発生 1945(昭和20)年4月28日 エヴァ・ブラウンと結婚 4月30日1530 ベルリンの総統地下壕で自殺 青酸入りアンプルを口に含むと同時に愛用の拳銃(ワルサー社製 口径7.65mm)で自らの頭を撃ち抜いた 5月1日 総統官邸に突入したソ連軍が遺体を発見 5月8日 ヒトラー直属の歯科技工士、カーテ・ホイザーマンによってヒトラーとエヴァ・ヒトラー(エヴァ・ブラウン)の遺体が確認される 遺体は解剖後、歯や頭蓋骨の一部を写真撮影をし、ベルリン北部の町に埋葬された 再確認のために再び発掘され、歯だけが取りはずされてモスクワへ運ばれる ソ連軍防諜部隊(スメルシュ)の駐留地移転に伴い、7回改葬される 8回目は旧東ドイツのマグデブルクにあったソ連軍防諜部隊基地のコンクリートで固めた裏庭に埋葬されたが、基地が東ドイツに返還されることになり発掘される 1970(昭和45)年3月13日 ユーリ・アンドロポフKGB議長が、ヒトラー夫妻とヨーゼフ・ゲッベルス一家の遺体10体を完全に焼却し、遺灰を空中散布することをレオニード・ブレジネフ最高会議議長に提案 4月5日未明 極秘計画「アルヒーフ(古文書)」 遺灰の空中散布を実施 2000(平成12)年 ロシア連邦保安局が遺骨を公開 著作「わが闘争」(Mein kampf)(1924(大正13)年) |