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ほんま,まさはる 本間 雅晴 1887(明治20)年11月27日生 1946(昭和21)年4月3日没 新潟県佐渡島(畑野町宮川)出身 日本陸軍軍人 農業・本間賢吉の長男 母、本間マツ 1907(明治40)年5月 陸軍士官学校(19期)卒 1915(大正4)年12月 陸軍大学校優等卒 1917(大正6)年8月 大尉に昇進 1918(大正7)年4月 イギリスに派遣 同時期にイギリスに派遣されていた今村均大尉(当時)や河辺正三大尉(当時)とは大変親しかった 1922(大正11)年8月 少佐に昇進 インド駐剳武官 秩父宮付武官 イギリス大使館付武官 1930(昭和5)年8月 大佐に昇進 1932(昭和7)年7月 陸軍省新聞班長 1933(昭和8)年8月 歩兵第1聯隊長 1935(昭和10)年8月 少将に昇進 歩兵第32旅団長 1938(昭和13)年7月 中将に昇進 第27師団長 1940(昭和15)年12月 台湾軍司令官 1941(昭和16)年11月 第14軍司令官 フィリピン攻略戦を指揮 1942(昭和17)年8月 予備役編入 フィリピン協会理事長を 戦後、戦犯としてマニラ軍事法廷に出頭を命じられる 1946(昭和21)年2月 マニラ軍事法廷で「バターン死の行進」の責任者として死刑判決を受ける 4月 マニラで銃殺刑 |