ほうじょう,まさむら
北條 政村
1205(元久2)年生
1273年6月13日(文永10年5月27日)没
父、北條義時
母は伊賀朝光の娘
北條泰時の異母弟
北條時村の父
通称、四郎
法号、覚崇
母・伊賀氏と謀り、娘婿の藤原実雅を将軍に擁立し実権掌握を企てるが失敗
評定衆
引付衆
1256年 連署
1264年9月2日(文永元年8月11日)〜1268年4月18日(文永5年3月5日) 鎌倉幕府第7代執権
1268(文永5)年 高麗使が蒙古の牒状をもたらすが返書を拒否
1268(文永5)年 北條時宗に執権職を譲り再び連署となる
 時宗を補佐して文永の役を戦う
和歌に優れ、作品は「新勅撰和歌集」「続千載和歌集」などに収められている