ほうじょう,さだとき
北條 貞時
1272年1月14日(文永8年12月12日)生
1311年12月6日(応長元年10月26日)没
鎌倉時代の武将
父、北條時宗
母は安達義景の娘(覚山尼)
長男
幼名、幸寿丸
通称、最勝寺殿
1284年8月19日(弘安7年7月7日)〜1301年9月24日(正安3年8月22日) 鎌倉幕府第9代執権
1285(弘安8)年 相模守
1285(弘安8)年 霜月騒動(秋田城介の乱)
1293年 平禅門の乱
 平頼綱父子を殺害
1289(正応2)年 将軍・惟康親王を廃し久明親王を将軍とする
1292(正応5)年 元の使者で高麗の金有成が入貢勧告書を持参すると抑留
1297(永仁5)年 永仁の徳政令
1301(正安3)年 両統迭立の策を立てて執権を辞し、出家
出家後、僧衣をまとい約3年諸国を巡歴
1305年4月30日(嘉元3年4月6日) 鎌倉大地震
 5月16日(4月22日) 鎌倉の館を焼失
1305年5月27日(嘉元3年5月4日) 北條宗方を殺害

北条 貞時