ほりべ,やすひょうえ・たけつね
堀部 安兵衛 武庸
1670(寛文10)年生
1703年3月20日(元祿16年2月4日)没
新潟県新発田市出身
赤穂・浅野家家臣
 馬廻・使番 江戸詰 二百石
旧名、中山 安兵衛 応庸(まさつね)
父、中山弥次右衛門
長男
義父、堀部金丸
直心影流・堀内源太左衛門に入門
1694年3月6日(元禄7年2月11日) 高田馬場の仇討ち(決闘)
 高田馬場(東京都新宿区西早稲田)で村上庄右衛門らを討つ
1703年1月31日(元禄15年12月14日) 赤穂事件
 大石良雄らと吉良邸(本所松坂町,現、東京都墨田区両国)を襲撃
 吉良義央を討ち取る
1703年3月20日(元祿16年2月4日) 松山・松平家中屋敷(東京都港区三田2丁目,現、イタリア大使館)で切腹 (介錯、荒川十太夫)
辞世「梓弓 ためしにも引け 武士の 道は迷はぬ 跡と思はば」
戒名、刃雲輝劔信士