ほうじょう,ときより
北條 時頼
1227年6月29日(嘉禄年5月14日)生
1263年12月24日(弘長3年11月22日)没
京都府出身
鎌倉時代の武将
父、北條時氏
母、松下禅尼
二男
北條時輔北條時宗、北條宗政の父
幼名、戒寿
通称、五郎
法名、最明寺殿崇公大禅定門 最明寺殿と呼ばれる
法号、覚了坊道崇
1237(嘉禎3)年 元服
左兵衛少将
左近衛将監
1246年4月10日(寛元4年3月23日)〜1256年12月10日(康元元年11月22日) 鎌倉幕府第5代執権
執権就任直後、前将軍・九条頼経(藤原頼経)と名越光時の陰謀を防ぐ
1247(宝治元)年 宝治合戦
 三浦泰村とその一族を滅ぼす
1249年 相模守
1249年 引付衆を設置
1252(建長4)年 摂家将軍・九条頼嗣(藤原頼嗣)を廃し、宗尊親王を征夷大将軍(宮将軍)として迎える
1253(建長5)年 蘭溪道隆(大覚禅師)を開山として建長寺を創建
1256年 病を得て出家
 最明寺に住し、執権を北條長時に譲る
出家後はひそかに諸国を遍歴して治政民情を視察したと伝えられる
「鉢の木」などの伝説があるが、伝説は史実ではない
遺偈、「業鏡高懸三十七年 一槌打碎大道担然」
「徒然草」に大仏宣時と味噌を肴に酒を酌み交わす逸話(第215段)がある
墓所、明月院(神奈川県鎌倉市山ノ内)時頼公廟所