ナポレオン1世,ボナパルト
Napoléon I
Napoléon Bonaparte
1769年8月15日生
1821年5月5日没
コルシカ島アジャクシオ出身
フランス皇帝
父はシャルル=マリー・ボナパルト
母はマリア=レティツィア・ボナパルト
母は自宅の2階の階段に続くサロンで出産
ボナパルト家はコルシカ島のイタリア系地主(貧乏貴族)
1779年 ブリエンヌ陸軍幼年学校入学
1783年 雪合戦を指揮
1784年 幼年学校卒業
1785年 幼年学校副校長に意見書を提出
砲兵士官としてフランス革命に参加
ジャコバン派支持の小冊子を発表して逮捕される
1795年 総裁府の要請でバンデミエールの反乱を鎮圧して再起
1796年〜1797年 イタリア征討司令官 オーストリア軍と戦いこれを破る
1796年3月9日 ジョゼフィーヌ・ド=ボーアルネと結婚
(結婚契約書には28歳と記入)
デジレ・クラリーと一時期婚約していたがこちらは破談となる)
1797年12月5日 パリに帰還
 12月6日 ド・タレーラン=ペリゴールと最初の会見
1798年 エジプト遠征
1799年 ブリュメール18日のクーデターによって統領政府を樹立 自ら第一統領となる
1800年6月14日 マレンゴの戦い
1804年12月2日 帝位につき第一帝政を開く
1805年12月2日 アウステルリッツ会戦
1806年 「ライン連邦」を結成
 11月20日 ベルリン勅令(大陸封鎖)
1807年6月14日 フリートラント会戦
 7月7日 ティルジットの会見
  ロシア皇帝・アレクサンドル1世と会見
  ロシアと講和
1809年7月5日〜7月6日 ヴァグラムの戦い
1809年12月15日 ジョゼフィーヌと離婚
1810年4月2日 ルーブル宮方形大広間でマリー・ルイーズと結婚式
1812年 ロシア遠征
1812年9月7日 ボロディノ会戦
 このとき風邪をこじらせていて、膀胱炎も再発していた
1813年10月16日〜18日 ライプツィヒの戦い
1814年 フランス戦役
 4月4日 退位宣言書に署名
エルバ島に流される
1815年2月26日 エルバ島脱出
 3月20日パリに戻り、帝位に復す
 6月18日 ワーテルローの戦いに敗れる
 10月15日 セント・ヘレナ島へ流刑
1821年5月5日1749 セント・ヘレナ島で死去
 死因は胃潰瘍
 翌日の解剖で癌の疑いと肝臓肥大の傾向が見られた
遺体には近衛猟騎兵大佐の制服とブーツを着せられ、レジョン・ドヌール勲章を佩用
鉄製の野戦用ベッドに横たえられ、マレンゴ会戦の際着用したマントが掛けられた
セント・ヘレナ島ゼラニウムの谷に埋葬される
1840年 フランス議会で遺体のパリ移送を採択
 イギリスも反対せず
 10月8日 国王ルイ・フィリップの三男ジョワンヴィル公を代表とする派遣団がフランス軍艦でセント・ヘレナ島に到着
 10月15日 棺を掘り起こし遺体を確認
 12月15日 棺をパリ・廃兵院に安置