|
ニミッツ,チェスター・ウィリアム Nimitz,Chester William 1885(明治18)年2月24日生 1966(昭和41)年2月20日没 テキサス州フレデリックスバーグ出身 アメリカ海軍軍人 Fleet Admiral (海軍元帥) ドイツ系移民の子孫 祖父、チャールズ・ニミッツは船長 趣味 蹄鉄投げ、ピストル射撃 太平洋艦隊司令長官時代、軍医からストレス解消のため射撃訓練をすすめられ、実行している 指を欠損していた 1905(明治38)年 アナポリス海軍兵学校卒 卒業成績114人中7番 特に数学の成績に優れる アジア艦隊所属軍艦「オハイオ」でアジア方面練習航海 横須賀に寄港 日露戦争凱旋園遊会に参加 他の少尉候補生5名とともに旅順で日本軍が分捕ったシャンパンを飲む その席で東郷平八郎大将を見つけ、候補生を代表して歓談を依頼 東郷はこれに応じ10分ほど候補生たちのテーブルで話している (東郷はイギリスに7年間留学しており、流暢な英語を話した) 1907(明治40)年1月31日 砲艦「パネー」艦長 1909(明治42)年5月 潜水艦「ブランジャー」艦長 1912(明治45)年3月 潜水艦「スキップジャック」艦長の時、海に転落したウォルシュ二等機関兵を救助 人命救助銀星章を授与される 「サウス・カロライナ」副長 「シカゴ」艦長 海軍大学校卒 合衆国艦隊参謀 第1次世界大戦中は大西洋潜水艦隊部隊参謀長 海軍省潜水艦設計部先任部員 第14潜水戦隊司令 カリフォルニア大学予備士官課程教官 1934(昭和9)年 アジア艦隊旗艦・戦艦「オーガスタ」艦長の時、再度来日 「オーガスタ」儀仗隊とともに東郷平八郎の国葬に参列 海軍省航海局次長 1938(昭和13)年 海軍少将 第2巡洋艦戦隊司令 第1戦艦戦隊司令 1939(昭和14)年6月 海軍省航海局長 1941(昭和16)年12月 海軍大将 (前階級は少将、序列28番) 12月17日 太平洋艦隊司令長官就任 12月31日 太平洋艦隊司令部(ハワイ)に着任 新聞に載っていたダグラス・マッカーサーの写真を切り抜き、額縁に入れてデスクに置いていた (親しい友人には「デスクにその写真を飾っているのは、とんでもない尊大な発言をしないよう自らを戒めるためだ」と語っている) 1942(昭和17)年5月2日 ミッドウェー島を視察 1944(昭和19)年7月 ハワイでフランクリン・ルーズベルト大統領、ダグラス・マッカーサーと会談 12月 元帥に昇進 1945(昭和20)年3月26日 アメリカ海軍軍政府布告第1号(ニミッツ布告)を公布 日本の降伏は時間の問題として原子爆弾の投下に反対 9月1日 記念艦「三笠」を見学 海兵隊に命じて「三笠」に歩哨を立てる 9月2日 降伏文書調印式 アメリカ合衆国代表としてに署名 1945(昭和20)年12月15日〜1947(昭和22)年12月15日 海軍作戦部長 海軍大臣顧問 1958(昭和33)年 「文藝春秋」二月号の随筆欄に「三笠と私」を執筆 原稿料を「三笠」の復元・保存資金に充てるよう依頼 横須賀にあった廃艦1隻を日本に譲渡 スクラップにして得た全額約3000万円を「三笠」保存の為に寄付 個人として「三笠」保存の為に2万円を寄付 著作「太平洋海戦史」の日本語版の印税を東郷神社に寄贈 1966(昭和41)年2月20日 サンフランシスコで死去 サンフランシスコ湾を望む海軍墓地に葬られる 現在、隣にはレイモンド・スプルーアンス提督が葬られている |