<散策記・川辺の居酒屋>



はじめに  

  今、僕の住んでいる所沢には川がありません。いや、あるにはあるのですがそれはどぶのようなちょろちょろと流れる小川です。僕の好きな満潮になると水かさが増し、秋にはハゼが釣れ、ゆったりとした流れに海を感じるような下流の河はありせん。
 東京は水の都と言われますが、新宿にも渋谷にも吉祥寺にも川は見当たりません。東京が西の方に発展したというか、広がっていたため北東部の地域のことをどこかに置き忘れ、「水の都」の実感がなくなってしまったのかもしれません。
 最初はただ川(墨田川、荒川放水路)を見に深川、両国、立石、堀切と出かけて行ったのですが、そのうち川の両側の街、店が気に入り。今では川沿いの街を散歩することが数少ない楽しみのひとつになりました。
 隅田川に架かる勝鬨橋から尾竹橋までの18の橋、荒川放水路の葛西橋から鹿浜橋までの13の橋を徒歩で渡ろうとひそかに決めてはみたのですが、どうしても気に入った街に何度も出かけることになり、まだ半分もできていません。
 
 以下は僕の好きな川沿いの東京の街の散策記です。




人形町 

 幼い時分、よく店の前の歩道に止めた配達用の黒い自転車の荷台に跨って通りを行き交う車や路面電車を眺めていました。コロナは食パン、セドリックはガンちゃん、パブリカはビー玉等と自分で勝手に車に名前を付け、通り過ぎる車の台数を数えたり、都電の運転手の癖や顔を覚えたりして一人で遊んでいました。
 お腹が空くと店の中に入り父親からはんぱになった赤いウインナーソーセージや三角のチーズを貰い、又、自転車に跨って通りを飽きもせずに眺めていました。
 昭和通りを走る都電21番線は私の実家、鈴木精肉店の前の停留所、‘千住4丁目’が終点でした。そしてもう一方の終点は‘人形町の水天宮’でした。水天宮という場所が何処にあるのか、どんな所なのか幼い私は何も知りませんでしたが、黄色い路面電車のプレートに書かれた文字から何となく浦島太郎の竜宮城をぼんやり思い浮かべていました。
 というわけでもないのですが僕には人形町は過去と現在が交差する浦島太郎のような街です。

  三遊亭圓生師匠によると 「昔は、水天宮から小伝馬町へ向かって今の人形町の交差点ですね、この右の方が元吉原、郭がありました。その向かい側には中村座、市村座とかあるいは、古くは薩摩座なんというあやつりの芝居がありました。芝居があってその向こうが郭ですから、とにかくそらァ大した繁華街ですね。それから親父橋を渡って少し行くと、江戸橋の向こうが日本橋、そのたもとに魚市場があるというわけで、食べること、見ること、それにまた男の楽しむ郭というものがある。郭、芝居、魚河岸という三カ所それぞれに一日、千両の金が落ちたという。

 日に三箱鼻の上下へその下
 日に三箱散る山吹は江戸の花

 そう云ったような川柳がいくらもありますけれども、たいへん繁盛して賑わってきたわけで・・・・。」  


 元吉原が浅草に引き移ったのが明暦三年、1657年。芝居が浅草の猿若町に移転したのが天保十二年、1841年とありますからこれは江戸時代、ちょんまげの頃の話だと思います。  明治になっても「西の銀座、東の人形町」といわれた時代があったようでその頃の写真を見ると今の新宿歌舞伎町、昔の浅草六区のように人で賑わっています。 いずれにしても、ここ人形町は江戸、東京のかつての中心地、大繁華街だったようです。
 今では、その面影はほとんど見当たりませんが、甘酒横町あたりに「芳」の字が付く屋号の店が多いのは吉原、花柳界のあった芳町のなごりなのかもしれません。(吉原は元々は葭の原にできた郭ということで葭原と書いていたそうです。芳町も葭町と書いてある本を見たことがあります。)

 とは言っても、僕には江戸趣味も下町情緒にも全く興味も関心もないのでその辺のことはまァ、どうでも良いのですが、コンビニエンスストアのような蛍光灯の燦々とした渋谷や新宿の街よりも薄い暗がりのある遊郭や花柳界の跡地を散策する方がなんだかしっとりした妖気みたいなものが感じられ、僕は好きなのでした。
甘酒横町写真
 都営地下鉄、浜町の駅を出て、表通りを避けて路地づたいに人形町方面に足を向けることにします。軒先に植木を置いたしもた屋があります。市川崑監督、淡島千景、山本富士子主演の映画「日本橋」の芸者置屋、稲葉屋は呉服橋のたもと元大工町とあるので三越の裏手、東京駅のななめ前あたりのはづですが、今、あの辺はビルと高速道路で見る影もないので、僕はこのあたりを歩きながらあの映画を思い浮かべたりします。
 「海産物問屋の伝吉か、アーァ、落ちぶれたくはねェよな」
 などと呟いてみます。なんだかバカみたいですが、散歩は趣味なので他人にどう思われてもかまいません。
 昼食をどうしょうか考えます。玉ひでの元祖親子丼を一度食べてみたいと思うのですが、何時行っても行列なのでやめることにします。並びの洋食・小春軒に入ろうか考えたのですが、今日はキラクでビーフカツを食べることにしました。
 腹もふくれたので喫茶去・快生軒でコーヒーを飲んで一服することにします。なんだか名店食べ歩きのようになってきましたが、人形町は旨い物が多いので致し方ありません。
 蛎殻町、小網町と歩き、日本橋小学校の上にある図書館で週刊誌でも読んで時間をつぶします。そろそろ日も暮れてきました。甘酒横町にもどり、目当ての笹新で穴子の白焼きを肴にビールを飲むことにします。(ここは、初めて人形町に来たときになんとなく入った店なのですが、川本三郎が人に教えたくない店、Sなんて書いてた良い飲み屋です)
 あれ、カウンターの隣に座った笠智衆に似た初老のサラリーマンが鞄の中から 厚い本を取り出し読書をしながら一人、熱燗をやってます。

 ほろ酔い加減で人形町通りを歩き、「そうは有馬の水天宮」をお参りします。水天宮は安産の神様で有名ですが、水商売の神様でもあるようです。お賽銭をあげ、手を合わせ、恥ずかしさをちょっと堪えて商売繁盛を祈りました。夜風が身に染みます。(ほんとにバカみたい)

 清洲橋から夜の隅田川を眺めます。河原のない、両側をコンクリートの堤防で囲われた隅田川は昼間見ると人工の運河のようですが、夜は高層ビルの夜景に照らされて、お化粧をした水商売の女の人のようで綺麗な眺めです。

 酔いがさめる前に森下町まで歩き、もう一杯やって、今日は帰ることにします。


*次回は大好きな森下町の予定


バックマークback